大原麗子、昭和の大女優が静かにこの世を去った。美人女優でちょっぴりハスキーな声で世の男を魅了した。「少し愛して、なが~く愛して」のキャッチコピーで話題になった、サントリーレッドのCMも世の男性を虜にした。
高倉健
高倉健の愛憎劇、再びクローズアップ!
最近また高倉健の周囲が騒がしくなってきた。高倉健が養女に迎えた小田貴月(たか)が、テレビのワイドショーに突然登場し、高倉健と過ごした17年間の想い出を語り始めたからだ。
文芸・喜劇・任侠・時代劇の当たり年
吉永小百合の「愛と死をみつめて」が興行収入ダントツの1位だった。若者を中心に初日から、お客が詰めかけ大ヒットになった。またミコとマコの物語は青山和子の歌でも大ヒットした。
高倉健 主演作品21③
0 1966(昭和41)年〜1988(昭和63) (高倉健 主演作品21①を読む) (高倉健 主演作品21②を読む) ⑪「居酒屋兆治」(監督・降旗康男) 1983(昭和58)年11月12日公開。配給・東宝 函館で居酒屋“ […]
高倉健 主演作品21②
高倉健主演「動乱」「遥かなる山の呼び声」「駅 STATION」「海峡」「南極物語」どれも何度でも見たくなる映画です。
高倉健 主演作品21①
高倉健は独立後、新境地を求めて多彩な映画に出演する。それがまた「寡黙で、不器用」な高倉キャラクターとマッチして、数々の名作を生み出す。
孤高の精神を貫き 高倉健逝く
東映の任俠映画路線の中で、高倉は「孤高の精神を貫き、独自の境地を示す映画俳優としての存在感」でトップスターに上りつめる。
1983(昭和58)年の世相
映画の製作費に匹敵するほどの宣伝費で老若男女あらゆる客層を吸引して日本映画史上、初の58億円という配給収入を記録した。
テレビの普及で観客動員が下降
日活は石原裕次郎作品を積極的に公開し、裕次郎が一世を風靡した。高倉健はアイヌ問題を描いた作品に出演した。ヒットはしなかったが高倉健の初期の代表作になった。
1977(昭和52)年の世相
0 1966(昭和41)年〜1988(昭和63)年 〈さゆり演歌 津軽海峡・冬景色〉 石川さゆりが1月に発売した「津軽海峡・冬景色」がヒットした。1973(昭和48)年にアイドル歌手としてデビューした石川さゆりだったが、 […]
任俠映画が一時代を築いた
批評家は任俠映画を無視していた。三島由紀夫の賛辞で任俠映画も芸術面での評価を獲得し、これで市民権を得ることに成った。
高倉健「昭和残俠伝」シリーズ
「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界〜」ご存知高倉健が歌う「唐獅子牡丹」である。このシーンに観客はしびれた。