阪東妻三郎の晩年の代表作「王将」で無学の将棋の名人・坂田三吉を演じる。無声映画からトーキー映画へ日本映画を代表する大スターである。
阪東妻三郎
昭和初期の映画界を牽引した立役者(阪東妻三郎)-その1-
阪東妻三郎は歌舞伎的な立ち回りから現在の剣劇に連なる立ち回りを考案した立役者である。
「無法松の一生」阪妻の好演が光った(その二)
0 1943年(昭和19年) 日本映画史上の名演技の一つに数えられる 阪妻も稲垣を知らない仲でもないので「命を懸けてもやるつもりか」と聞いた。稲垣は「そうだ」と答えると、「よし、私も頑張ろう」と応じて出演が決まった。阪妻 […]
「無法松の一生」阪妻の好演が光った(その一)
阪妻は出演を一度断っている。監督の稲垣浩の再三再四出演依頼で引き受けた阪妻は日本映画史上に残る名演技を生み出した。
文部省選定、海軍省後援の誤魔化し
監督や俳優よりも、陸軍航空本部監修、情報局選定国民映画、文部省選定、海軍省後援という大きなゴシック文字が必ずついた。
正義のためと国策映画罷り通る
0 1935(昭和10)年〜1944(昭和19)年 映画を国策宣伝に利用 1939(昭和14)年9月、ナチスドイツがポーランドに侵攻して以来、ヨーロッパ全土が再び戦場と化していたが、この大戦で、軍部は映画を敵国侵略の有力 […]
舞台劇を映画化、名作「王将」誕生
映画の主題歌として、村田英雄が歌った「王将」がレコード大賞特別賞を受賞した。歌と共に今でも語り継がれる秀作である。
トーキーのセリフ下手お国訛りが逆受け
日本映画トーキー第1作は「マダムと女房」である。主役の田中絹代の下関なまりの声が意外と愛嬌と色気があると評判を取った。
映画公社の解散で初日から満員御礼
終戦後、映画の復活は早かった。娯楽に飢えていた観衆は開場前から押しかけ、長蛇の列をつくった。歌謡映画、娯楽映画の氾濫が際立っていた。
マキノ映画の名作誕生
表返ったのじゃッ!日本映画史上に残る「浪人街」の名セリフ。「浪人街」は時代劇映画史上初めて集団殺陣というジャンルを切り開いた。