日本の映画史に残る「幕末太陽伝」(主演:フランキー堺)を撮った、監督・川島雄三が1963(昭和33)年6月12日急死した。川島くらいオーソドックスを嫌い、アブノーマルを愛した男はいない。
石原裕次郎
テレビの普及で観客動員が下降
日活は石原裕次郎作品を積極的に公開し、裕次郎が一世を風靡した。高倉健はアイヌ問題を描いた作品に出演した。ヒットはしなかったが高倉健の初期の代表作になった。
昭和の大スター ひばりと裕次郎
生涯総出演作170本。歌に映画に舞台にと活躍したひばりも、1989(平成元)年6月24日永眠。裕次郎と同じ52歳だった。
1956(昭和31)年の世相
昭和の大スター石原裕次郎、生涯総出演映画102本も。1987(昭和62)年7月17日5日52歳だった。
1956(昭和31)年の世相
日活の救世主として現れた裕次郎。その型破りな存在感が若者を捉えた。その後、日本を代表する俳優へと成長する。
スターで客を呼ぶ時代の終わり
映画界にも変革が起きていた。トップスターの共演や豪華キャストなど、一流どころを揃えて、スターで客を呼ぶ時代は終わった。
複雑な世相と映画の多様化
1976年は東宝作品が最も当たっていた年で興収ベストテンに八作入っている。その中で、「日本のいちばん長い日」が、ベストテン1位になり話題になった。