井上靖が毎日芸術賞を受賞した小説「敦煌」(講談社)の映画化なる。
大映
世界に認められた最初の日本映画「羅生門」(その一)
0 1950年(昭和25年) ベネチア国際映画祭でグランプリを受賞 1950(昭和25)年8月26日に公開された「羅生門」が、昭和26年9月、ベネチア国際映画祭でグランプリ(金獅子賞)を受賞した。これまで現地では、アメリ […]
正義のためと国策映画罷り通る
0 1935(昭和10)年〜1944(昭和19)年 映画を国策宣伝に利用 1939(昭和14)年9月、ナチスドイツがポーランドに侵攻して以来、ヨーロッパ全土が再び戦場と化していたが、この大戦で、軍部は映画を敵国侵略の有力 […]
日本映画界もそれなりに健闘
戦後6年間アメリカ映画を配給してきたセントラルが解体。洋画配給が自由になり洋画攻勢の嵐は、いよいよ大きくなって行った。
日本映画が世界に紹介される
まだ米軍占領下にあって国際的な自信を全く失っていた時だけに、現在では想像も出来ない程に、国民に希望と勇気を与えた。
入場税の引き下げが決まった
戦前の内務省による締めつけを思い出すという向きもあったが、ともあれ助成金を得たことで、国産カラー化への研究も本格化した。
泣かせる母物映画がブーム
そのため何故か母物映画がブームになり、主役の三益愛子は「三益の母物か、母物の三益か」といわれ一世を風靡した。
大映のドル箱スター 市川雷蔵
雷蔵の代表作「炎上」で演出をした市川崑監督は「百点満点をつけて良いと思います。もう何も言うことないですよ」と語った。
ストライキが、逆に会社の足を引っ張った
終戦後の映画界では労働組合運動が他の産業界に率先して生まれた。1945年から48年にかけて映画界は労働争議に明け暮れた。