0 上原美佐という、まったく無名の新人がお姫様役として抜てきされた。 黒澤明監督の「隠し砦の三悪人」(主演/三船敏郎)で、お姫様役を好演した上原美佐をご存知の方は多いと思う。その上原美佐が経歴詐称で騒がれたことがあった。 […]
三船敏郎
三船君、本当によくやったなあ
「三船無くして黒澤無し」と言われるほど黒澤作品に欠かせない存在。黒澤は三船の死後「三船君、本当によくやったなあと褒めてあげたかった。あんな素晴らしい俳優はもういません」と語った。
三船敏郎と黒澤明監督との16作品
黒澤明監督と三船敏郎の名コンビでヒット作が続々と生まれる。黒澤明は「一言いうと10わかる。珍しいほど監督の意図に反応する。こいつを生かしていこうと思った。」と語っている。
黒澤明とのコンビで日本映画界を牽引
黒澤明は三船敏郎のたぐいまれな才能を見抜く。その後、黒澤明とのコンビ作品が続き日本映画界を牽引していく。三船敏郎は国際映画人として世界中に影響を与え尊敬された。
時代劇に革命が起きた
「椿三十郎」で演出した血飛沫が噴き出す表現が観客を驚かせた。今までのリアル感の無い時代劇が衰退する。日本時代劇の変革だった。以降東映に「ヤクザ映画」が台頭して来る。
世界に認められた最初の日本映画「羅生門」(その一)
0 1950年(昭和25年) ベネチア国際映画祭でグランプリを受賞 1950(昭和25)年8月26日に公開された「羅生門」が、昭和26年9月、ベネチア国際映画祭でグランプリ(金獅子賞)を受賞した。これまで現地では、アメリ […]
「無法松の一生」阪妻の好演が光った(その二)
0 1943年(昭和19年) 日本映画史上の名演技の一つに数えられる 阪妻も稲垣を知らない仲でもないので「命を懸けてもやるつもりか」と聞いた。稲垣は「そうだ」と答えると、「よし、私も頑張ろう」と応じて出演が決まった。阪妻 […]
日本映画界は繁栄のときを迎えていた
日本映画の最高傑作、黒澤明の「七人の侍」侍と百姓が最後は一枚岩となり、野武士に対峙するクライマックスは観ている者を興奮させる。
原節子 雪の札幌ロケで大騒動
ロケ班の第1陣が札幌入りした。出迎えたファンの歓迎が凄かった。札幌駅前に数百人のファンが殺到し大変な騒ぎになった。
独立国ニッポンが誕生
GHQが日本から撤退していく。多くの国民がそれと気づかないうちに、日本は目覚ましい発展の第一歩を踏み出してい
1970(昭和45)年の世相
この年、ウーマンリブ、ヘドロ、鼻血ブー、男は黙って(三船敏郎のサッポロビールのCMから)などが流行り言葉だった。
スターで客を呼ぶ時代の終わり
映画界にも変革が起きていた。トップスターの共演や豪華キャストなど、一流どころを揃えて、スターで客を呼ぶ時代は終わった。
戦後の混乱でも海外からなだれ込む映画
まだ戦後の混乱期である昭和23年に、世界の映画人に多大な影響を与えていく黒沢・三船コンビ、の初映画「酔いどれ天使」が誕生。
複雑な世相と映画の多様化
1976年は東宝作品が最も当たっていた年で興収ベストテンに八作入っている。その中で、「日本のいちばん長い日」が、ベストテン1位になり話題になった。