活弁の鼻息はまだまだ荒かった 2019.06.09 by 西川昭幸 アメリカのレコード式トーキー映画「ドン・ファン」の出現は、あっという間に全世界に広がった。ただ、日本だけは悲しいかな、活弁全盛の下で黙殺された。しかし、皆川芳造は、この好機を逃そうとはしなかったフィルム式トーキーによる発明が次々となされていた。皆川が渡米したのは、まさにその時期だった。