昭和8年、本格的トーキー映画「モロッコ」が上映され、このころにはトーキーが8割を占め、弁士の生活が脅かされ始めていた。
チャップリン
シネマテーク運動の衰退
日本映画界が、絶望的な落ち込みをみせる1965年代の始めころ、全国各地で熱烈な映画ファンよるシネマテーク運動が起こっていた。
弁士は大学出の6倍の高給取り
活動写真の初日には町廻りというのがあって、楽隊を先頭にノボリや横幕をかつぐ者、チラシをまく者などが町中を練り歩いた。
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