経済成長率が戦後初となるマイナスとなり、翌年以降も低成長にとどまって、日本経済の高度成長は終焉を迎えた。
昭和(後期)
1972(昭和47)年の世相
ノーベル賞作家の川端康成が、神奈川県逗子市内の仕事場マンションでガス自殺しているのが発見された。享年72歳だった。
1970(昭和45)年の世相
この年、ウーマンリブ、ヘドロ、鼻血ブー、男は黙って(三船敏郎のサッポロビールのCMから)などが流行り言葉だった。
「1971(昭和46)年の世相
日活がしぶとさを発揮したのは、この直後から。ポルノ映画専門会社に変身した。日活ロマンポルノ発足の早業だった。
スターで客を呼ぶ時代の終わり
映画界にも変革が起きていた。トップスターの共演や豪華キャストなど、一流どころを揃えて、スターで客を呼ぶ時代は終わった。
藤純子と江波杏子の任侠映画
藤純子主演の「緋牡丹博徒」シリーズ。江波杏子主演の「女賭博師」シリーズ。二人の立ち居振る舞いの美しさに観客は酔った。
任俠映画が一時代を築いた
批評家は任俠映画を無視していた。三島由紀夫の賛辞で任俠映画も芸術面での評価を獲得し、これで市民権を得ることに成った。
高倉健「昭和残俠伝」シリーズ
「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界〜」ご存知高倉健が歌う「唐獅子牡丹」である。このシーンに観客はしびれた。
「男はつらいよ」寅さんの起源はテレビドラマ
長寿シリーズ物「男はつらいよ」は、全48作が公開され、山田洋次が全ての原作を担当し、26年間の長きにわたった国民的映画。
「フーテンの寅」の渥美清
1969(昭和44)年、松竹で「男はつらいよ」の映画化を決め以降シリーズ化。渥美は27年間で48作の寅さんを演じ続けた。
1968・9(昭和43・4)年の世相
「男はつらいよ」の第1作公開。東映は任俠シリーズ。加えて藤純子主演「緋牡丹博徒」シリーズが好調で年間配収60億円の大台。
勝プロダクションを設立も倒産
長男で俳優の奥村雄太が、殺陣の撮影中、役者を真剣で刺して死亡させてしまう。マリファナとコカインを所持して現行犯逮捕。
勝プロダクション設立
「悪名」「座頭市物語」「兵隊やくざ」のシリーズ物3作がすべて大ヒット。大映のドル箱として大映の大黒柱になっていく。
大映のドル箱スター 市川雷蔵
雷蔵の代表作「炎上」で演出をした市川崑監督は「百点満点をつけて良いと思います。もう何も言うことないですよ」と語った。
時代劇の全盛期を支えた大スター
美空ひばりと恋仲にあった2人だが、母親の小川ヒナが「魚屋の娘は梨園には不釣合い。認めません」の一言で錦之介はシュン。
時代劇の全盛期を支えた大スター
最近は時代劇がめっきり少なくなってきたが、昭和30〜60年代に活躍した萬屋錦之介、市川雷蔵、勝新太郎は時代劇の3大スターである。
東宝を支えた2大シリーズ
東宝は加山雄三の「若大将シリーズ」とクレージー・キャッツの植木等を主役としたシリーズの2本で若者とサラリーマンを取り込んだ。
シネマテーク運動の衰退
日本映画界が、絶望的な落ち込みをみせる1965年代の始めころ、全国各地で熱烈な映画ファンよるシネマテーク運動が起こっていた。
複雑な世相と映画の多様化
1976年は東宝作品が最も当たっていた年で興収ベストテンに八作入っている。その中で、「日本のいちばん長い日」が、ベストテン1位になり話題になった。
国民生活の変化と世相
ビートルズが来日。1967年、グループサウンズが竹の子のように増えた。1968年から学園紛争が全国で起きる。1970年には大阪万博が開催された。