現場では映写技師の高齢化で、デジタル化に付いていけない人が多い。映画を知らない若者が技術だけで、業界に携わり、往年の活動屋魂が薄れて行く事へ危惧する声も聞かれる。
昭和(後期)
東京で時代劇の撮影ができる場所が無い
美術、大道具、小道具、かつらなどの職人が減り、撮影場所もない。時代劇を書ける脚本家が少なくなり、演出の監督も高齢化。若い監督の演出は時代考証もメチャクチャ。
新規参入を歓迎しない映画界の古い体質
日本映画は大正末期より、製作、配給、興行を1社で独占してきた。新規劇場の参入を歓迎しない映画界の古い体質は、今も変わっていないようだ。このシステムが日本映画を衰退させている。
日本映画史上類を見ない規模
井上靖が毎日芸術賞を受賞した小説「敦煌」(講談社)の映画化なる。
1988(昭和63)年の世相
戦後3大疑獄事件の1つに挙げられるリクルート事件が発生した。天皇が、吐血で容態急変。天皇の国事行為を皇太子に全面委任。病状悪化で、全国の祭りやイベントが自粛ムードになった。
1987(昭和62)年の世相
伊丹十三監督の異色作「マルサの女」が物語の面白さと演出力でヒット。「マルサの女」主演の宮本信子、山崎努、津川雅彦などの怪演で、250万人の観客を動員しマルサブームを作った。
1986(昭和61)年の世相
テレビ局が映画に参入した最初の局が、フジテレビだった。斜陽産業といわれた映画も、大量宣伝、動員作戦をかけることで、場外ホームランが昔の夢でないことが証明された。
1985(昭和60)年の世相
0 1966(昭和41)年〜1988(昭和63) 〈古都保存税でお坊さん反旗〉 京都市が7月10日から実施した古都保存協力税をめぐって、市と京都の寺院が対立。同税は、市内寺院の拝観料に大人50円、こども30円を上乗せし、 […]
映画の特撮はSFXからCGへ
日本のSFX映画の元祖は「ゴジラ」。そしてSFX映画のパイオニアが円谷英二である。
1984(昭和59)年の世相
宮崎アニメは、広く世界に認識され、日本アニメの評価を高めた。世界に通じるアニメーション映画が誕生した。1984(昭和59)年3月11日公開した「風の谷のナウシカ」がそれだ。
高倉健 主演作品21③
0 1966(昭和41)年〜1988(昭和63) (高倉健 主演作品21①を読む) (高倉健 主演作品21②を読む) ⑪「居酒屋兆治」(監督・降旗康男) 1983(昭和58)年11月12日公開。配給・東宝 函館で居酒屋“ […]
高倉健 主演作品21②
高倉健主演「動乱」「遥かなる山の呼び声」「駅 STATION」「海峡」「南極物語」どれも何度でも見たくなる映画です。
高倉健 主演作品21①
高倉健は独立後、新境地を求めて多彩な映画に出演する。それがまた「寡黙で、不器用」な高倉キャラクターとマッチして、数々の名作を生み出す。
孤高の精神を貫き 高倉健逝く
東映の任俠映画路線の中で、高倉は「孤高の精神を貫き、独自の境地を示す映画俳優としての存在感」でトップスターに上りつめる。
1983(昭和58)年の世相
映画の製作費に匹敵するほどの宣伝費で老若男女あらゆる客層を吸引して日本映画史上、初の58億円という配給収入を記録した。
1982(昭和57)年の世相
角川と提携を希望していた松竹が飛びついた。大ヒットで最終配収が19億円まで行った。更に、この年の映画賞を総なめにした。
戦後の新しい鉱脈がアニメであった
2014(平成26)年現在、日本で上映された映画の興行成績ベスト6を見ると、ジブリ作品が3本も入っている。
アニメ商業ベースに乗る
東映動画が「白蛇伝」で長編アニメを誕生させる。手塚治虫が「虫プロ」を設立し最初の国産テレビ漫画「鉄腕アトム」が登場。高視聴率を獲得する。
1981(昭和56)年の世相
「さよなら銀河鉄道999」の映画宣伝で、北海道にミステリー列車が走った。何処へ行くのか誰も知らない。999号は出発した。
1980(昭和55)年の世相
黒澤明監督の「影武者」がカンヌ国際映画祭で最高賞を受賞。12月8日ジョン・レノンがニューヨークの自宅前で凶弾に倒れた。