

昭和を代表する女優・八千草 薫(本名谷口瞳)が、2019(令和元)年10月24日、すい臓がんのため逝去した。
88歳だった。八千草は1931(昭和6)年、大阪府生まれ。愛称はヒトミちゃん。
身長154cm。 幼少時に父を亡くし、母一人・子一人で育った。現・プール学院中学校・高等学校在学中に宝塚音楽学校に合格。
思春期がちょうど戦時中であり、自宅も空襲で焼け、「色のある」「夢のある世界」に飢え、華やかな世界にあこがれ、1947年に宝塚歌劇団入団したという。
宝塚入団時の成績は50人中19位だった。
1952年「源氏物語」の初演で可憐で無垢な若紫役を演じ人気を博した。
以降は美貌・清純派の娘役として宝塚の一時代を風靡。
同年から劇団内に新設された映画専科に所属した。
映画の初出演は1951年の「宝塚夫人」。八千草は宝塚在団中から東宝映画などの外部出演をこなしており、当時『お嫁さんにしたい有名人』の統計で、たびたび首位に輝いた。
映画では1954年「宮本武蔵」お通役で、米アカデミー賞名誉賞(外国語映画賞)を受賞。
1955年、日伊合作映画「蝶々夫人」では主役、蝶々さんを演じた。
この作品、プッチ―ニ原作の世界的に有名な同名オペラの舞台をそのまま映画のセットで表現した忠実な映画化で、撮影は全てローマのチネチッタ撮影所で行われ、八千草も渡伊した。
以降、名匠が手掛ける話題作から、芸術性の高い映画まで出演し、芸域の幅を広げた。
1947年美貌の娘役と活躍していたとき、映画「乱菊物語」で出会った、谷口千吉監督と結婚。
二度の離婚歴が有る谷口監督との結婚に、周囲は猛反対したが、恋を貫き通した。
谷口は結婚50年目となる2007年に逝去したが、おしどり夫婦として芸能界では有名だった。
子供に恵まれなかった。八千草は可憐な娘役から上品な母役、そして温かい祖母役まで、非常に息長く映画やドラマの一線で活躍した。
ただこうし外見の柔らかさを逆手にとり、以外にも芯の強い女性を演じるとき、彼女はしばしば光輝いた。
20代では映画「雪国」。岸恵子が演じた不倫に走る義姉に対する複雑な心情をめらめらと表現した。

テレビ映画で茶の間に浸透
1977年のテレビ番組『岸辺のアルバム』では、東京郊外に住む平凡な主婦が、家族に隠れて不倫する役を演じ、従来のイメージを覆し、テレビドラマ史に残る名作と評された。
作品以外でも毅然とした態度は変わらず、テレビドラマ「赤い疑惑」では、主演の山口百恵のスケジュールの都合で、細切れや、断片的な収録を余儀なくされたことに納得できず、自ら途中降板したエピソードも残っている。
晩年は映画「くじけないで」で理想的なおばあさんを演じ、愛らしい清純派から優しい母、理想のおばあさんと評価された。
昭和、平成に年齢を重ねながら、芸域を広げた。晩年まで上品さを失わない稀有な名女優だった。
2010年3月中旬にドラマの撮影中に転倒し、右膝蓋骨を負傷。
当初は全治3週間と診断されていたが症状が悪化し、5月開催の第19回日本映画批評家大賞授賞式を欠席した 2014年、古巣・宝塚歌劇団創立100周年を記念して設立された「宝塚歌劇の殿堂」最初の100人の一人として殿堂入した。
しかし、八千草の晩年はガンとの闘いの連続だった。
2017年春に乳がんが発見され、手術を受けた。
しかし、同年12月に人間ドックですい臓がんと判明し、翌2018年1月に7時間の及ぶすい臓の摘出手術を受けた。
その後は抗がん剤治療を受けて順調に回復。同年8、9月に舞台「黄昏」に主演し、ドラマの収録にも参加。
しかし、2019年1月熱が出たため、病院で検査を受けたところ、肝臓がんが見つかった。
そのため、テレビ朝日「やすらぎの刻~道」を降板。2019年10月24日午前7時45分、膵臓がんのため東京都内の病院にて死去した。
主な受賞歴=1965年:第12回アジア映画祭助演女優賞、1977年:「岸辺のアルバム」でテレビ大賞主演女優手、1987年:都民文化栄誉章、1995年:文化庁長官表彰、1997年:紫綬褒章、2003年:旭日小綬章、2004年:「阿修羅のごとく」で第27回日本アカデミー賞・最優秀助演賞、2009年:第64回毎日映画コンクール女優助演賞、2015年:名誉都民。
主な出演映画=宝塚夫人、宮本武蔵、蝶々夫人、乱菊物語、雪国、美しさと悲しみと、男はつたいよ~寅次郎夢枕、田園に死す、不毛地帯、ハチ公物語、226、いつかどこかで、阿修羅のごとく、交渉人真下正義、ディアー・ドクター、舟を編むく、ゆずり葉のころ。など
主な出演ドラマ=敦煌、大河ドラマ・花の生涯、前略おふくろ様、岸辺のアルバム、阿修羅のごとく、熱い秋、大河ドラマ・徳川家康、大河ドラマ・利休とまつ、恋の時間、最高の離婚、宮本武蔵、やすらぎの刻~道。など

