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日本映画100年史

本【日本映画100年史】をリアルタイムで加筆していく、ライブブックブログ!

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大原麗子62歳 寂しすぎる孤独死!

2020.03.25 by 西川昭幸

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「大原麗子」の画像
大原麗子

昭和の大女優が静かにこの世を去った。

大原麗子である。

数日前から連絡が取れなくなった弟・政光さんが心配になり警察へ連絡。

警察官が自宅を訪ねたところ、寝室で倒れていた。

死後2週間以上経過しており、臨床検査の結果、2009(平成21)年8月3日の死亡が確認された。62歳だった。

 大原は1964(昭和39)年、NHKドラマ「幸福試験」でデビュー。翌年、東映へ入社して佐久間良子主演「孤独の賭け」で映画へ本格的デビューした。

翌年出演した、高倉健主演の「網走番外地 北海編」の弓子役が認められ、網走番外地シリーズ4作に脇役出演。人気女優になった。

以降、千葉真一主演「浪曲子守歌」シリーズ、「夜の歌謡」シリーズなどで活躍。

1977年「獄門島」、1978年「男はつらいよ 噂の寅次郎」、などに出演し更に人気を高めた。

1983年「居酒屋兆治」で高倉健の元恋人役で出演。高倉を一途に思い、美しく狂っていく女の役を見事に演じて話題になった。

これは私の好きな作品で、倉本総の脚本と降旗康男監督が良かった。

函館、札幌を舞台に、好きな男と一諸になれなかった女が、場末のホステスまで落ち、身体を壊し死んで行く姿を大原は懸命に演じ、涙をさそった。

1984年「おはん」では情熱的に男性を愛する芸者を演じ、人気を不動のものにした。

同年の「男はつらいよ 寅次郎真実一路」、等があるが、1986年「新・喜びも悲しみも幾年月」が最後の映画出演となった。

 テレビドラマでの活躍は目覚ましい。出演作品は300本近くに上る。

NHK大河ドラマの常連で「竜馬がゆく」「勝海舟」「獅子の時代」「山河燃ゆ」等が有り「春日局」では主役を張り高視聴率を上げた。

特に「ナショナルゴールデン劇場」「東芝日曜劇場」での作品は数え切れない。

それも全てが主役である。

病気と闘った私生活

美人女優でちょっぴりハスキーな声で世の男を魅了した。

「少し愛して、なが~く愛して」のキャッチコピーで話題になった、サントリーレッドのCMも世の男性を虜にした。

大スターらしく、プライベートでも華やかな話題を提供。

1973年に俳優の渡瀬恒彦と結婚したが、1978年に離婚。1980年に人気絶頂だった歌手の森進一と再婚。

当時芸能界史上最高の規模と言われた2憶数千万円の式を挙げ、売れっ子女優と人気歌手の突然のゴールインで世間を驚かせた。

しかし、2度目の結婚生活もわずか4年で破局。子供が欲しい森と、俳優を続けたい大原の葛藤がぶっかっての離婚だった。

大原が最も売れていた時である。

1999年から2000年にかけて、筋肉を動かす運動神経の障害で手や足に力が入らなくなる病気「ギャン・バレー症候群」を発症。治療に専念するため芸能活動を休養した。

その後、第一線に復帰する事はなかった。

 新聞記事などによると、2008(平成20)年11月、自宅で転倒し、右手首2ヶ所を骨折し、自宅でインターホン越しに報道陣の取材に対応したという。

自宅では高齢(91歳)の母親を看護していたが、自分の病状が悪化。看護が出来なくて母親を弟の所へ帰していた時に倒れ死亡した。

現場は、2階の寝室の床に倒れていた。1.5m先に携帯電話が有った。

「不整脈による内出血」が解剖結果だった。助けを求めるための携帯電話に手が届かなかったくらい、病は進行していた。

ギヤン・バレー症候群は、手足がしびれ、力が入らず痛みが激しい病気で、一人での闘病生活は壮絶だったことが亡くなった後、知人などから紹介された。

誰からも愛された美人女優

大原麗子(本名)は1946(昭和21)年11月13日、東京都文京区で老舗の和菓子屋「田月堂」に生まれた。

北豊島高等学校卒業。裕福な家庭環境もあり、青春時代は六本木野獣会に属し、加賀まりこ、田辺靖雄などと軟派していた。麻雀が好きで徹夜で打つことも平気だった。

芸能界に入ったが、物事をはっきり言う女優さんで業界では珍しがられた。

私が最初に有ったのは、1965(昭和40)年11月で、大原が入社して直ぐで「網走番外地 北海編」の、北海道ロケに来た時である。当時、羽田空港~千歳空港間に、オーロラというプロペラ機で(YS―11)夜間飛行機が飛んでいた。着いて直ぐ東映北海道支社に顔を出した。

都会的でスタイルがよく、ジーパンが良く似合うピチピチギャルの記憶があった。

東映のやくざ映画全盛の中で、良い女優さんだったが出演作は脇役が多く、主役を張れることはなかった。悔やまれる。

しかし、東映から独立してからテレビでの活躍は目を見張るものがあり輝いた。どちらかと言うと、テレビでなじみの方が多いと思う。テレビドラマの女王と言われた時もあった。

高倉健を崇拝し、晩年まで父親のように慕った。亡くなって遺品を整理したら、高倉健の記事がワンサと出て来て関係者を驚かせた。

美空ひばりとも親交が有り、お姉さんと慕い麻雀仲間でも有った。

大原麗子の「お別れの会」は三姉妹と呼ばれるほど親しかったプロデユサーの石井ふく子、女優・森光子が発起人になり、他に女優の浅丘ルリ子、渡辺プロダクションの渡邉美佐会長、ひばりプロダクション社長加藤和也も名を連ね、8月23日青山葬儀所で行われた。弔問客は約400人。元夫の渡瀬恒彦、森進一も参列し故人を偲んだ。

拙著<美空ひばり最後の真実>が発売中です。

Filed Under: 四方山話, 平成 Tagged With: 大原麗子, 森進一, 渡瀬恒彦, 高倉健

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著者紹介(西川昭幸)

アバター1941年北海道生まれ。東洋大学社会学部卒。
映画会社勤務などを経て現在、公益社団法人理事。
<主な著作>
「北の映画物語」(北海タイムス社)、
「美空ひばり公式完全データブック 永久保存版」(角川書店)、
「活字の映画館 明治・大正・昭和編」(ダーツ出版)、
「日本映画100年史」(ごま書房新社)、
「美空ひばり最後の真実」(さくら舎)、
「昭和の映画ベスト10、男優・女優・作品」(ごま書房新社)

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