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日本映画100年史

本【日本映画100年史】をリアルタイムで加筆していく、ライブブックブログ!

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高倉健の愛憎劇、再びクローズアップ!

2020.02.19 by 西川昭幸

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高倉健が2014(平成26)年11月10日に亡くなってから、2019(令和元)年で5年になる。

「八甲田山」の画像
「八甲田山」高倉健

最近また高倉健の周囲が騒がしくなってきた。

何故なら、養女に迎えた小田貴月(たか)が、テレビのワイドショーに突然登場し、高倉健と過ごした17年間の想い出を語り始めたからだ。

併せて手記が文藝春秋社から「高倉健、その愛」として出版された。

読んでみた。たしかに生活を共にした人しか分からない、食事の献立や、高倉の気質などが書かれている。

しかし、ファンが一番知りたい養女になった詳しい経緯と理由、高倉の死後に世田谷の自宅を解体、売却した理由、併せて鎌倉霊園の高台にあった、江利チエミとの水子地蔵と高倉健墓の廃棄。

「フェラリー」「マセラティ」「ベンツ」などの愛車コレクションの処分、財産の総取り、遺骨さえ親族に渡さない、肉親の排除などが記されていない。

死後、行われたこうした行為は、ファンや親族から批判を受けた。確かに奇怪しい。

高倉健は映画俳優として多くのファンに支持され、映画賞に輝いた作品も多く、日本を代表する俳優になった。

晩年はその活躍が認められ、文化勲章まで受章された。そうしたファンや国民に支えられ生活が成り立っていた。

高倉健は正に公人である。それを養女自身が私物化して、お墓さえ廃棄してしまう行為は高倉健の置かれている社会的地位や評価を理解しない異常行為の何物でもない。

こうした行為が高倉健の晩節を汚し、人格を下げてしまった。

命日にお墓お参りも出来ない現状、一ファンとして本当に悲しい。

そうしたことから、福岡県中間市にある小田家(高倉健実家)の菩提寺「正覚寺」境内に、血縁者の手で高倉健の記念碑が建てられたのは、亡くなって3年後の2017(平成29)年である。しかし、そこには遺骨は無い。

そもそも小田貴月とは何者なのか?

1964(昭和39)年、東京生まれ。高倉健との年齢差は33歳ある。最初の出会いは1996(平成8)年3月、女優を経て、海外のホテルを紹介する番組のデレクター、プロデユサーをしていたとき香港のレストランで会った。

貴月32歳、高倉65歳のときである。

それから親交を重ね1997(平成8)年、高倉健の愛人となり、世田谷区の自宅で17年間過ごした。

高倉の隠された極秘生活は貴月の母と、高倉の友人の2人しか知らなかった。

養女になったのは2010(平成22)年、貴月の母が亡くなるとき、病気の容態や死後の相談は縁者しか出来ない事を知り、高倉は自分の看病、死後を託す人が居ないのに気づき、貴月を養女として籍にいれたという。

婚姻届けでは世間を騒がせる要因になると判断したようだ。高倉が亡くなる1年半前である。

以後、亡くなるまでその存在を明かすことはなかった。

高倉の死後、貴月がいきなり現れ親戚、ファンをびっくりさせたのはご承知の通りである。

可極な雪中撮影のエピソード

上梓された「高倉健、その愛」(文藝春秋社)の中で、高倉が撮影中に遭遇した余話が何点か載っている。その中で2点のエピソードを、本の中から再記しておきたい。

①「網走番外地」(東映、監督/石井輝夫)

高倉健の出世作で、雪原で馬に引きずられるシーンがあった。

最初に人形を使ったが、軽すぎてポンポン飛び上がってしまう。それを見た高倉が、「監督、僕やります」って進言。

高倉は春先の重たい雪で、引きずられるので鼻も口も塞がれ息ができない状況になった。

走る馬に、途中でスピードを調節しろなんて、言えないから最後までやり通した。アップすると気絶寸前だった。

高倉は、あれでよく気絶しなかったなって思う。二度とやるもんじゃないよ。勉強になった」と語っている。

②「八甲田山」(東宝、監督/森谷司郎)

撮影中のご飯は、昼、夜、夜食、いつも雪の中、定番はカレーラス。

ご飯も凍ってシャリ、シャリ。それと、豚汁、おにぎり、何食ってもシャリ、シャリ。ご飯は全てがそうだった。

高倉は、雪の中、歩きっぱなしじゃなくて、途中待機が多かった。それからカメラの位置を変えて、また歩き出す。

その間「休んで下さい」とか「休憩」って言われたって、まわりは全部雪だらけ。どこにも逃げ場は無いんだよ。

足跡付けるわけにもいかないから、腰まで雪に浸かったままで動かなかった。このときは、意地だけ!

もちろん口なんか利かない、ピリピリしていたね。

「吹雪がくるまで、待ちま~す」って言われて。芝居なんかするどころじゃなかったねえ。吹雪待ちなんだから。それでも(雪が)足りないって、スタッフが僕たちに雪を降らせるんだよ。撒(ま)くんだよ。台詞つたって、口がまともに開かないよ。フードを目深に被るところで、コートの襟を一生懸命に寄せるでしょ。あれは演技じゃないよ。少しでも風に背を向けるようとするのは、生きる本能だよ」。

高倉はこの撮影で足が軽度の凍傷になった。

確かに「八甲田山」は過激な撮影が続いた。この映画は、実際に真冬の八甲田山でロケを敢行し、日本映画史上類を見ない過酷なロケとして有名になった。

数名の俳優がその過酷さに耐えられず脱走した。また裸で凍死する兵卒を演じた俳優の肌が紫色に映っているのはメイクではなく本当に凍傷になりかけたためだった。

主役級も含めて俳優たちの出演料も決して高額ではなかった。

高倉も「八甲田山」が3年に渡る撮影で生活費が途絶え、ハワイ・オアフ島の高級のマンション、京都・大原三千院の土地、所有するメルセデス・ベンツ・SLなどを売却した。

しかし、苦労が実り、作品は1977(昭和52)年度の興行収入ベスト・テン一位に輝いた。

拙著<美空ひばり最後の真実>が発売中です。

Filed Under: 令和, 四方山話 Tagged With: 小田貴月, 森谷司郎, 石井輝夫, 高倉健

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著者紹介(西川昭幸)

アバター1941年北海道生まれ。東洋大学社会学部卒。
映画会社勤務などを経て現在、公益社団法人理事。
<主な著作>
「北の映画物語」(北海タイムス社)、
「美空ひばり公式完全データブック 永久保存版」(角川書店)、
「活字の映画館 明治・大正・昭和編」(ダーツ出版)、
「日本映画100年史」(ごま書房新社)、
「美空ひばり最後の真実」(さくら舎)、
「昭和の映画ベスト10、男優・女優・作品」(ごま書房新社)

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