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日本映画100年史

本【日本映画100年史】をリアルタイムで加筆していく、ライブブックブログ!

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新規参入を歓迎しない映画界の古い体質

2020.01.24 by 西川昭幸

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1966(昭和41)年〜1988(昭和63)

ブロック・ブッキング方式の崩壊

そもそも日本映画は大正末期より、製作、配給、興行の流れを1社で独占する方法が取られて来た(これをブロック・ブッキング・システムという)。それ以前は無声映画の時代で、俳優プロダクションや色々な組織が映画を作り、各地の劇場へ配給していた。

「昭和60年代の映写機」の画像
昭和60年代の映写機

1912(明治45)年3月に「日本活動フィルム株式會社(日活)」が創立され、1920(大正9)年、「松竹キネマ合名會社(松竹)」と、大資本の会社が出来たことで、撮影所が整備され、安定した製作が確保された。

そこで自社製作の映画を上映する劇場造りや、系列の上映館獲得に邁進する。劇場が多ければそれだけ製作費の回収が早まり、利益も保証された。これは営利企業として自然の成り行きでもあった。

激しい劇場争奪戦が展開された

この傾向が顕著になるのが、1923(大正12)年9月1日の関東大震災以降である。震災の復興を契機に、日活と松竹の激しい劇場争奪戦が展開された。これに1937(昭和12)年、「東宝映画配給株式会社(東宝)」が設立され、新規に参画してきたので興行界は、益々ややこしい事になり大嵐が吹き荒れた。

ちなみに当時の全国劇場勢力図は、日活系97、松竹系73、新興キネマ系52、大都映画系24、計246館であった。この時、全国の邦画、洋画の上映劇場は紅白の2系統に分かれて配給されていた。

1941(昭和16)年12月、太平洋戦争が勃発、その翌年、戦時統制の国策で映画の製作会社が淘汰され、大都映画と新興キネマが合併。「大日本映画製作株式會社」となり、大映が発足する。

大手6社の製作会社が興行部門も掌握

これ以降、後発の新東宝、東映を含めた大手6社の製作会社が興行部門も掌握し、館主さん達は、強い作品を配給してくれる会社の軍門に下った。そのため独立プロダクションの映画を上映する劇場が少なくなり、数多く有った製作プロダクションは倒産する。

日本映画を衰退させて行く

独立プロなどで自由な映画製作が出来なくなったこのシステムが日本映画を衰退させて行く。このことを映画人で気が付く人は少なかった。

しかし、このシステムが強固だったのは昭和後期迄で、新東宝が1961(昭和36)年倒産、次いで1970(昭和45)年、大映倒産と続く。その翌年の1971(昭和46)年には東宝が映画製作から撤退。

日活が1993(平成5)年倒産、2006(平成18)年6月には松竹大船撮影所閉鎖。更に、1998(平成10)年1月には松竹のお家騒動がした。奥山融社長と、息子で専務兼プロデューサーの奥山和由が取締役で電撃解任される。

独断経営と映画部門の赤字と無謀な投資が主な理由だった。これにより松竹の映画部門は後退する。慌ただしく業界が様変わりして行く。現場の劇場は大変だった。

それでも、細々と自社製作を配給していたのは松竹と東映だけだったが、この2社も息切れがしていた。年に3〜4本しか自社製作が出来ないので、劇場を支えられなくなった。そのため劇場の総合ビル化や、売却、撤退が加速した。

邦画各社の映画製作が激減

こうして、邦画各社の映画製作が激減し、1996(平成8)年以降、外部資本による「シネマコンプレックス」の登場や、新しい勢力の映画製作が盛んになり、このシステムが崩壊する。

今や邦画各社は配給・興行業務を中心とした会社に成り、松竹、東映は映画部門の売り上げは40%を切ってしまった。配給、興行に占める東宝の寡占化がますます進んでいる。

では、洋画配給はどうだろうか。洋画配給会社は多くあるが、全国の洋画劇場は大別して、東宝系、松竹系の2系列に組み込まれているので、大作の自主配給が、なかなか難しいのが現状だ。

ワーナー映画が、そうしたシステムに斬り込みを掛けて、ショピングセンターを中心に映画館を作ったが、家賃が支払えず売却。買ったイオン等は結局、東宝、松竹の配給に頼っているのが現状で、いまだ、東宝と松竹が配給網を抑えている。

新規劇場はどうなるのか

戦前からあった紅白、2系統の名残である。では新規劇場はどうなるのか。少し古くなるが1つの例を上げてみよう。1985(昭和60)年12月、札幌に310席の新しい劇場が誕生した。

市民文化の発進基地にしたいと、映画上映を中心に多目的ホールとしての機能を持つ、防震吸音構造ビルの7階だった。

映写機も電子コントロール方式の全自動で、音響もJBLドルビー方式、キャパは小さいが、会館や大劇場に勝るとも劣らない設備を擁していた。

しかし、立派な劇場があっても作品の供給が無ければ経営が成り立たない。劇場側では客席数を考え、①大作の拡大封切、②単館の名作映画、③角川映画の上映を模索していた。

拡大上映をお願いした

それを踏まえ、12月のオープンに当たって東宝に、正月映画「トップガン」(監督・トニー・スコット)、の拡大上映をお願いした。この作品は主演・トム・クルーズで、米国軍の超エリート集団のパイロットを描いた物語。アメリカでは前評判が高く、アカデミー主題歌賞を取った作品である。

上映方針は変わらなかった

しかし、東宝と再三交渉するも自社経営の「日本劇場」のみでの上映方針は変わらなかった。製作会社パラマウントとUIPは2館での拡大公開を歓迎したが、配給に対する東宝本社、北海道支社、劇場側の思惑が複雑に絡み合っての結論だった。

次いで交渉したのが松竹。子会社の富士映画が買い付けた「コーラスライン」(監督・リチャード・アッテンポロー)が、劇場のイメージと一致するので拡大封切をお願いした。

映画界の古い体質も垣間見られた

この作品は、ブロードウエーで明日のスターを夢見るダンサーを描いた意欲作だった。しかし、この交渉も不発に終わった。公開予定の「札幌劇場」の抵抗が激しかった。併せてブッキングする松竹本社の劇場経営者に対する思惑も絡んでいた。

結果、この劇場は12月14日公開で、ヘラルド映画配給のイギリス映画「ダンス・ウイズ・ストレンジャー」(監督・マイク・ニューウェル)の名作上映となった。この作品は1985(昭和60)年、カンヌ国際映画祭最優秀ヤング映画賞など取っていたが、如何せん劇場の柿落としては地味で、興収も伸びなかった。

拡大封切りが出来なかった原因は、①配給系列館に入らなかった事、②劇場同士が半径200mの地域で近かった事、③既存映画館が権利主張し抵抗が激しかった事、④劇場経営社と東宝、松竹との関係、等があげられる。併せて、新規劇場の参入を歓迎しない映画界の古い体質も垣間見られた。今もこの現状は変わっていないようだ。

この劇場、何処あろう、今は廃館した札幌「角川シアター」の話である。その後、角川も世代や組織が代わり、有楽町、新宿などに「角川シネマ」を経営しているが、配給会社の系列に加わらず独自の運営をしている。

拙著<美空ひばり最後の真実>が発売中です。

Filed Under: 昭和(後期) Tagged With: シネマコンプレックス, ブロック・ブッキング・システム

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著者紹介(西川昭幸)

アバター1941年北海道生まれ。東洋大学社会学部卒。
映画会社勤務などを経て現在、公益社団法人理事。
<主な著作>
「北の映画物語」(北海タイムス社)、
「美空ひばり公式完全データブック 永久保存版」(角川書店)、
「活字の映画館 明治・大正・昭和編」(ダーツ出版)、
「日本映画100年史」(ごま書房新社)、
「美空ひばり最後の真実」(さくら舎)、
「昭和の映画ベスト10、男優・女優・作品」(ごま書房新社)

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