
1955(昭和30)年〜1965(昭和40)年
〈豪雪、裏日本を襲う〉
1月、本州の日本海側を中心に記録的な積雪があり、多数の死者を出したほか、各地に深刻な被害をもたらした。北陸地方では1月11日から28日まで吹雪を伴う雪が降り続き、交通機関の麻痺、燃料や食料などの不足、ごみ、し尿収集の停止など、市民生活に重大な影響を与えた。
2月18日に豪雪非常災害対策本部が出した被害報告によると、豪雪による死者行方不明者は165人に達し、被害額は農林関係が500億円、国鉄52億円、私鉄6億5,000万円、バス、トラック28億円にのぼった。
気象庁は、この豪雪を冬型の気圧配置が例年以上に強まったことが原因とし、「昭和38年1月豪雪」(三八豪雪)と命名した。「天国と地獄」昭和38年
〈吉展ちゃん誘拐事件〉
3月31日、東京都台東区入谷の自宅近くの公園で遊んでいた村越吉展ちゃん(4歳)の行方が分からなくなり、2日後の4月2日、身代金を要求する電話で、誘拐事件と判明した。犯人は50万円を要求し、7日、警察が見張っていたにもかかわらず、身代金を奪って逃走した。
警察は公開捜査に切り替え、一般市民にも「吉展ちゃんを捜す運動」がおこった。2年後の1965(昭和40)年7月、別件逮捕で服役中だった小原保が犯行を自供、吉展ちゃんは白骨死体で発見された。
この事件では捜査への影響を考慮して、初めて報道協定が結ばれた。また、これを契機として刑法に身代金誘拐が追加された。なお、犯人の小原保は1967(昭和42)年に死刑が確定、1971(昭和46)年に執行された。


〈その他の出来事〉
1月1日、フジテレビで、手塚プロダクション製作の初の国産連続アニメ「鉄腕アトム」が放送開始。続いてNET(現・テレビ朝日)が11月25日から東映動画製作の「狼少年ケン」を放送する。
番組提供は「アトム」が明治製菓、「ケン」が森永製菓と、この両番組、何かと話題になり視聴率競争も激しかった。また「鉄人28号」「エイトマン」も放送され、茶の間は一気にテレビアニメの時代がやって来た。
4月7日、NHK大河ドラマの第1作「花の生涯」が放送開始。これ以降、大河ドラマは毎年続く長寿番組となる。7月2日、第13回ベルリン国際映画祭で今井正監督の「武士道残酷物語」(東映/主演・中村錦之助)が金熊賞(グランプリ)を受賞する。
11月9日、福岡県大牟田市の三井三池三川鉱で、炭塵爆発事故が起り、戦後最大の死者458人を出した。また、生存者の一酸化炭素中毒の後遺症も問題視された。
11月22日、衝撃的なニュースが入って来た。アメリカのケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺されたのだ。これが日本初の宇宙中継の映像を通して知らされた。世界に衝撃が走り株価は暴落した。
新商売“プリントかけもち屋”
1965(昭和40)年ごろまでは、1本の映画のフィルムが、数ヶ月掛かって道内を一巡してくるのが普通の興行形態だった。
最初に封切館にかかり、順次2番館、3番館と料金も下降し、フィルムもぼろぼろにすり切れてしまう。戦後になって、映画ブームに呼応して映画館の急増ラッシュが始まり、それにつれてどうしても、フィルムが不足するという現象が起きてきた。
そこで登場した新商売が「かけもち屋さん」であった。このかけもち屋は、主に大都市の映画館で見られた商売である。
地方都市ではその必要もなく、ほとんど雇っていなかった。北海道の場合、やはり札幌に集中していた。提携館を持つ封切館は、たいがい2、3人くらいのかけもち屋さんを雇っていた。2番館以下では社員がやっていたようだ。
かけもち屋さんとは、フィルムの運び屋のことである。1955(昭和30)年代に入って映画館ラッシュが始まり、フイルムガ高いので1本の作品を他の館でも回し上映するようになる。
2本立て上映だったので時間を少しずらしておき、その間にかけもち屋がフィルムを運んでいた。昭和3、40年代のころ、映画館の裏手からオートバイにフィルムを括りつけ、運んで行く姿などを見かけた人は案外多いのではないだろうか…。
当時は札幌東映と琴似東映が掛け持ちし、後に白石劇場も加わり、プリント運びも分刻みだった。他の劇場も同じで、札幌では、黒の革ジャンパーを着てオートバイでさっそうと走る、イキなお兄さんが見られた。

