
ポケモンショックに翻弄された映画
「ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」(東宝)

「劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」は、1998(平成10)年7月に公開された、首藤剛志脚本、湯山邦彦監督による日本の長編アニメーション映画である。 前年4月から放送されていたテレビアニメ「ポケットモンスター」の劇場版第1作であり、当初の構想では映画公開に先立って、敵役のミュウツーを事前にテレビアニメに登場させ、主人公のサトシたちと戦って一度負けさせる予定であった。 しかし、視聴者が光過敏性発作などを起こしたポケモンショックにより、4ヶ月間の放送休止に追い込まれ、映画本編がミュウツーの初登場となった。

世界に通用するようなアニメにするように…
劇場版ポケモンは、日本でジブリ作品に負けても、外国で勝てるアニメにしたいと最初から世界的ヒットを狙った作品である。 海外で通用するには、海外受けするテーマが必要になる。 しかも、海外以前に、日本である程度ヒットしなければならない。 そのためには、家族サービスで子供向けアニメを観なければならない大人も楽しめるアニメで無ければならない。
テレビでシリーズ構成担当を任されていた首藤剛志が、そのまま映画の脚本を担当することとなり、日本でも海外でも通用する「自己存在への問い」、「差別」、「バトルの否定」という3つの要素を盛り込んだ脚本を作り上げた。
自己存在への逆襲と差別
ミュウツーには遺伝子ポケモンという設定があり、そのオリジナルとして幻のポケモン「ミュウ」が存在する。 首藤はそれをヒントに、オリジナルに対する自分の存在意義というテーマを最初に考えた。
もともと欧州には「神の子」と思い込んでいた人間が、「人間とは何か」、「自分とは何か」を考えるきっかけになったルネッサンス運動があり、「自分とは何か?」というテーマを持ち込んでも通用する。 そのミュウツーの声は、シェークスピア流のストレートプレイ(演劇)の名優である市村正親が担当することになり、脚本ではファーストシーンで、ミュウツーがいきなり現れ、まさにテーマを語った。
「ここはどこだ? 私はなんだ?」
また、世界中でヒットした作品には、アクションものだろうと、文芸作品だろうと、ラブストーリーだろうと、観客の心に思い当たる部分を持っている。 「差別はいけない」と、どの世界でも言われるが、差別は様々な形で世界中に存在し、差別の存在は誰もが思い当たる。 だから、本物とコピーが実質同一でも差別は生まれるという視点を首藤は加えた。
喧嘩やバトルは、勝っても負けても悲しい
クライマックスは、「自分とは何か」という自己存在への問いかけに対する本物とコピーの戦いである。 互いに自己存在を賭けて戦うが、本物とコピーの勝負はつかず、双方が疲弊し、同士打ちのように倒れていく。 その無意味で悲惨な戦いに耐えきれなくなった主人公のサトシは、本来ポケモンを戦わせるポケモントレーナーであり、その頂点であるポケモンマスターになることを目指している少年であったが、無意識にバトルを否定し、身をもって戦いを止めに入る。 バトルに勝つことが価値観である世界の中で、自己存在への答えを潜在意識の中で「戦いを止めさせること」だと見つけ、行動したのだ。
世界の人々に普遍的に通用するテーマやストーリーを見つけ出せば、ヒットする
「暗い」、「重い」、「爽快感がない」と制作内部で否定論があったが、公開すれば空前の大ヒットで、観客動員数650万人、配給収入41.5億円を記録。 翌年の1999(平成11)年11月には、ワーナー・ブラザース配給で全米公開、興収8,000万ドルを記録し、全米公開の日本映画の歴代興行収入1位となった。 この記録は未だに破られていない。 それまでの日本映画は専門家や一部の映画ファンには高い評価を得ていたが、一般の欧米人には、ほとんど通用しなかったことが、まるで嘘のような結果である。 ちなみに、日本映画初の週間興行ランキング初登場第1位作品でもあり、初日の興行収入は1,010万ドルで、それまでの日本映画の興収記録であった「Shall we ダンス」の950万ドルを初日だけで抜き去った。 なお、全米公開の日本映画の歴代興行収入2位は、同じく首藤が脚本を手がけた第二作の「劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕」であり、この記録も破られていない。

