
梅宮辰夫は昭和の映画界を牽引した俳優である。

映画俳優・梅宮辰夫が令和元年12月12日(木)午前7時40分、慢性腎不全で他界した。81歳だった。死亡報道は新聞、テレビで大きく取り上げられた。しかし、その見出しは料理、釣り、事業家、アンナパパ、などが強調され、なぜか俳優としての見出しが踊らない。
報道する側が余りにも、いま受けする内容で淋しい。梅宮辰夫は昭和の映画界を牽引した俳優である。その実績を評価しないのは残念である。
梅宮辰夫は1959(昭和34)年、東映の第5期ニューフエースとして21歳のとき「母と娘の瞳」(監督/小林恒夫)でデビューした。それから東映一筋に俳優人生を歩んで来た。1965(昭和40)年から1972(昭和46)年は梅宮辰夫の年と言って良いほど主役を張って活躍した。
その主な主役作品は「夜の青春シリーズ」4作品、「夜の歌謡シリーズ」11作品、「夜の帝王シリーズ」5作品、「不良番長シリーズ」16作品となっている。シリーズ物36作品を8年間で撮っているのは大変な数である。その間、「花札渡世」「渡世人」「仁義なき戦い」などに出演。映画出演は2011(平成23)年「明日に泣く」(監督/内藤誠)で終わる。
テレビ出演は多い。その代表作には「プレイガール」「前略おふくろ様」「明日の刑事」「このこ誰の子?」「ララバイ刑事」「火曜サスペンス劇場 箱根湯河原温泉交番」の各シリーズ物がある。


当たり役、「夜の青春シリーズ」
しかし、先にも記したが梅宮辰夫は映画俳優である。梅宮の個性は映画で発揮された。その代表作をあげ時代を振り返って見よう。
まず「夜の青春シリーズ」、評論家の山根貞男は「夜の盛り場シリーズ」と呼んでいるが、私も作品内容からして「夜の盛り場シリーズ」と呼ぶのが相応しいと思う。
まず、1965(昭和40)年1月公開の第一作「ひも」(監督/関川秀雄)。なんとも凄まじいタイトルである。内容は家出娘・静江(緑魔子)が、愚連隊の村田浩(梅宮辰夫)に仕込まれ、バーのホステスにされる。浩との結婚を夢に静江は懸命に働く。浩は女を出世の道具に使い大幹部になりたいと野心を持つ男だった。ある日静江は働いている店のママ(ロミ山田)と浩が寝ているのを目撃、静江はバーから逃げるが捕まり、残忍なリンチを受ける、静江はまた浩のため働く事になった。
女を生活の「ひも」にして生きる、盛り場男の生活を描いた、何とも救い難い作品である。同時上映は「日本俠客伝 浪速編」(主演/高倉健)。添え物作品だったが、「ひも」の評判が良かった。
そのためシリーズ化が決まり、梅宮辰夫のプレイボーイがはまり役になって人気を得て行った。
第二作「いろ」(共演/緑魔子)は同年の6月の「暗黒街仁義」(主演/鶴田浩二)と併映。第三作「ダニ」(共演/北あけみ)は、同年の8月公開「日本俠客伝 関東編」と併映。第四作「かも」(共演/緑魔子)も、「昭和残俠伝」(主演/高倉健)の併映と続いた。
東映が時代劇の衰退で、任俠映画が盛んに作られて行く時期だった。「夜の青春シリーズ」は夜の世界に生きる男女の人間模様が描かれ、男尊女卑を感じさせる作品だった。そのため「女性軽視がひどい」と苦情も多かった。しかし何故か梅宮辰夫だけは夜の蝶に持てた。

「夜の歌謡シリーズ」で人気が沸騰
次いで企画されたのが「夜の歌謡シリーズ」である。この歌謡映画は古くからあり「歌手を主演にした映画」と、「ヒット曲をヒントに製作する映画」との2種類に分類される。この時期、東映が撮影したのは後者の方で、それもやくざ映画の併映作品なので選別が難しかった。
その第一作が1967(昭和42)年9月公開の「柳瀬ブルース」(歌手/美川憲一)で、併映作品は「日本侠客伝 斬り込み」(主演/高倉健)である。これも当たった。二作目は1968(昭和43)年8月公開の「盛り場ブルース」(歌手/森進一)、併映作品は「俠客列伝」(主演/高倉健)。三作目は同年10月公開の「命かれても」(歌手/森進一)、併映作品は「人生劇場 飛車角と吉良常」(主演/鶴田浩二、高倉健)。第四作は同年12月公開の「伊勢佐木町ブルース」(歌手/青江三奈)、併映作品は「昭和残侠伝」(主演/高倉健、再映)と続いた。
この歌謡シリーズは以後、「長崎ブルース」(歌手・青江三奈)、「女のみち」(歌手/宮史郎)、「しのび恋」など、1974(49)年4月まで全11作、撮られ人気があった。この頃になると作品内容も女性が自立していく姿を描き、時代も変わってきた。梅宮辰夫が檜舞台に躍り出た作品である。

