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日本映画100年史

本【日本映画100年史】をリアルタイムで加筆していく、ライブブックブログ!

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孤高の精神を貫き 高倉健逝く

2019.11.22 by 西川昭幸

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1966(昭和41)年〜1988(昭和63)年

高倉健の訃報が入って来た

高倉健が逝去した。死因は悪性リンパ腫(血液中の癌)。都内の病院で2014(平成26)年11月10日午前3時49分に息を引き取った。83歳の生涯だった。

このニュースで映画界に激震が走った。新聞は一面記事で、テレビは特番で高倉の死を悼んだ。

常に日本映画のトップスターとして活躍

芸能生活58年間に、205本の主演作がある。それほど芸歴が永く、常に日本映画のトップスターとして活躍していた。2012(平成24)年、「長年の活躍と、孤高の精神を貫き、独自の境地を示す映画俳優としての存在感」に第60回菊池寛賞が贈られた。

1998(平成10)年、紫綬褒賞。2006(平成18)年、文化功労章。2013(平成25)年、文化勲章などを受賞している。

「高倉健」の画像
高倉健(昭和44年)

高倉健は1931(昭和6)年2月16日、福岡県中間市の裕福な家庭に生まれた。明治大学商学部卒業後、思ったような就職先が無く、一旦帰郷し家業を手伝う。

マネジャーになるため面接を受ける

1955(昭和30)年、大学時代の知人の紹介で、美空ひばり等が所属している、新芸術プロダクションのマネジャーになるため事務所の近くにある、地下鉄京橋駅・改札口横にある喫茶「メトロ」で面接を受ける。この喫茶店、筆者も毎日の様に利用した所で、奥はビジネスホテルになっていた。

マキノ光雄所長にスカウトされる

しかし、その場にいた東映東京撮影所のマキノ光雄所長にスカウトされ、東映第2期ニューフェイスとして入社。1ヶ月半後の1956(昭和31)年1月29日公開の「電光空手打ち」(監督・津田不二夫)で、いきなり主役でデビューした。そのとき高倉健の芸名を付けてもらう。

高倉は主人公の役名「忍勇作」を希望したが却下。嫌々ながらの芸名デビューになった。元々、俳優になる気が無かったので、初めて顔にドーランを塗り、化粧をした自分を鏡で見た時、情けなくて涙が止まらなかったという。

三船敏郎が俳優になる時、「男のくせに顔で飯を食うのは好きでない」と言った感情と似ている。

高校時代はボクシング、大学では相撲や合気道で鍛えたスポーツマン風の容姿がかわれ、現代劇スターとして売り出す。

デビューから主演作品に恵まれていた

デビューした年は11本の作品に出演、以後、アクション、喜劇、刑事、文芸作品などで幅広く活躍。高倉は何故かデビューから主演作品に恵まれていた。1960(昭和35)年3月に「第二東映」が発足したことも主演作品を増加させた。

歌手・江利チエミと結婚するが

プライベートではこの間、1959(昭和34)年、歌手・江利チエミと結婚するが、1971(昭和46)年、江利の異父姉の横領と虚言が元で離婚。その後、再婚することはなかった。

1962(昭和37)年、江利が妊娠するが、妊娠高血圧症候群のため中絶を余儀なくされ、その後も子宝に恵まれなかったが、夫婦仲は円満だった。

任俠ブームで高倉はトップスターに上りつめる

映画で転機になったのは1963(昭和38)年「人生劇場 飛車角」(監督/沢島忠)に出演してから。この映画がヒットし、以降、東映は任俠映画を量産していく。

高倉も任俠映画を中心に活躍する。1964(昭和39)年「日本俠客伝」シリーズ、1965(昭和40)年「網走番外地」シリーズ、「昭和残侠伝」シリーズと高倉作品が連打される。この任俠ブームで高倉はトップスターに上りつめる。高倉の歌も流行った。

映画主題歌の「網走番外地」は200万枚を売り上げ、「唐獅子牡丹」は今でも歌い継がれている。

東映時代の主な主演作は

「大学の石松」シリーズ(監督/伊賀山正光、ほか)、「森と湖のまつり」(監督/内田吐夢)、「暴力街」(監督/小林恒夫)、「恐喝」(監督/渡辺祐介)、「日本侠客伝」シリーズ(監督/マキノ雅弘、ほか)、「ジャコ満と鉄」(監督/深作欣二)、「飢餓海峡」(監督/内田吐夢)、「網走番外地」シリーズ(監督/石井輝男、ほか)、「昭和残侠伝」シリーズ(監督/佐伯清、ほか)、「ごろつき」(監督/マキノ雅弘)、「山口組三代目」(監督/山下耕作)、「ゴルゴ13」(監督/佐藤純彌)、「新幹線大爆破」(監督/佐藤純彌)等がある。

1973(昭和48)年に入り、任俠映画が下火になり実録路線の「仁義なき戦い」が出て来る。この映画がまたバカ当たり。高倉は任俠映画の不振から出演作は次第に減少。

「ゴルゴ13」「新幹線大爆破」などに新境地を模索していたが、「仁義なき戦い」のヒットで、東映の岡田社長は「鶴田浩二も高倉健もしばらく止めや」と言うことになった。「このまま東映にいたら、ヤクザ役しか出来なくなる」という危機感もあり、1976(昭和51)年退社。

高倉は東映所属中に外部作品にも出演していた。錦之助の中村プロが中心に組織した日本映画復興協会製作の「祇園祭」(1968(昭和43)年)。監督/ロバート・アルドリッチ、共演・マイケル・ケインのアメリカ映画「燃える戦場」(1970(昭和45)年)。ロバート・ミッチャムと共演した「ザ・ヤクザ」(1974(昭和49)年)。勝プロ製作「無宿」(1974(昭和49)年)などである。

Filed Under: 昭和(後期) Tagged With: 江利チエミ, 高倉健

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著者紹介(西川昭幸)

アバター1941年北海道生まれ。東洋大学社会学部卒。
映画会社勤務などを経て現在、公益社団法人理事。
<主な著作>
「北の映画物語」(北海タイムス社)、
「美空ひばり公式完全データブック 永久保存版」(角川書店)、
「活字の映画館 明治・大正・昭和編」(ダーツ出版)、
「日本映画100年史」(ごま書房新社)、
「美空ひばり最後の真実」(さくら舎)、
「昭和の映画ベスト10、男優・女優・作品」(ごま書房新社)

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