
1955(昭和30)年〜1965(昭和40)年
〈赤線の灯、消える〉
売春の防止を図るためとして、1956(昭和31)年に制定された売春防止法がこの年、4月1日から全面施行された。
これに伴い、いわゆる「赤線」と呼ばれた地域が姿を消した。赤線とは1876(明治9)年に警視庁が、遊郭、私娼窟、待合、芸者置屋、料亭などといった風俗業地区を、重点監視地区として管轄地図上に朱筆で囲ませたことに基づく地域の事である。
一般には東京・吉原や玉ノ井などの売春街をさしていた。第2次世界大戦前は、遊郭や私娼窟は公認の売春地区であり、そこで働く女性は、前借や年季奉公などで縛られていたが、戦後はGHQにより解放され、自前営業をしていた。
それが今回の売春防止法を機に、売春業者の多くは廃業、従業婦も転業を余儀なくされ、江戸時代以来続いた遊郭はここに消滅することになった。

〈東京タワー完成〉
東京タワーは1957(昭和32)年6月26日から約1年半を経て、1958(昭和33)年12月23日に無事完成した。
この塔は“塔博士”と呼ばれた構造設計のベテラン、内藤多仲が図面を引き、とび職人が鉄骨をひとつひとつ組み上げて出来た。高さ333㍍は、純鉄骨造の自立鉄塔では世界1を誇った。
日本の建設設計にコンピューターが使われるようになったのは、1960(昭和35)年頃から。東京タワーは三角定規と計算尺を用いて、すべて手計算で設計された。
後年、電算プログラムを利用してタワーの耐力診断が行われたが、コンピューターの計算とほぼ一致していたという。日本技術の高さを証明した建造物である。

〈プロ野球の黄金時代〉
この年の日本シリーズは、西鉄と巨人の対戦となった。初戦から3連勝し、このまま押し切るかに見えた巨人の前に、鉄腕・稲尾和久投手が立ちはだかる。
連投、連投で西鉄を日本一に導いた、稲尾に向かって、ファンはこう呼んだ。「神様、仏様、稲尾様」。この力投がプロ野球の伝説となり、今でも語り継がれている。
この年、プロ野球は、とにかく元気だった。4月5日、スーパールーキーの巨人・長嶋茂雄が公式戦にデビューし、国鉄・金田正一投手の前に4打数、4三振と華やかな登場だった。
後年、長嶋が「僕の野球人生は全部三振から始まっているんです」と語っている記念すべき日だった。長嶋が金田正一、稲尾和久と対決するたびにスタンドは大きく沸いた。一方で弾丸ライナーの異名を取っていた川上哲治が、静かにバットを置いた。
〈その他の出来事〉
即席ラーメン、ミニバイク、軽自動車など、この年誕生した商品には、現在まで続くロングセラーも少なくない。
2月「日劇ウエスタン・カーニバル」が開かれ強烈なリズムが若者の心をわしづかみにし、ロカビリー旋風が起きた。3月27日、ナンシー梅木が米映画「サヨナラ」で、東洋人として初のアカデミー賞助演女優賞を受賞した。
