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日本映画100年史

本【日本映画100年史】をリアルタイムで加筆していく、ライブブックブログ!

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昭和の大スター ひばりと裕次郎

2019.10.31 by 西川昭幸

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1955(昭和30)年〜1965(昭和40)年

170本主演の美空ひばり 

ひばりは、石原裕次郎がデビューした1956(昭和31)年には、既に映画界で大スターとして君臨していた。ひばりのデビューは1949(昭和24)年、「のど自慢狂時代」で、裕次郎より7年ほど早い。

デビューから歌と映画の両立で活躍したひばりは、初期作品、「悲しき口笛」「東京キッド」「あの丘超えて」「リンゴ園の少女」などが大ヒット。松竹で一番稼ぐ女優だった。

年に12本と驚異的なペースで主演作を撮る

どこの映画会社にも所属しないで活躍していたひばりは、1958(昭和33)年8月18日、当時、拡大路線を走っていた東映と専属契約を結ぶ。そこで、ひばりは東映時代劇の黄金時代を築いていく。その活躍ぶりを見ると、1958(昭和33)年に16本、1959(昭和34)年に市井本、1960(昭和35)年に11本、1961(昭和36)年に12本と驚異的なペースで主演作を撮っている。

歌あり、踊りあり、男装あり、殺陣ありの、ひばり作品は安定して観客動員が出来た。まさに東映のドル箱だった。しかし、1963(昭和38)年頃からの時代劇の衰退もあり、ひばりは、東映との専属契約を解除。歌と舞台へシフトを移す。

美空ひばりの生涯映画出演作は170本。映画の題名に「ひばりの…」と名前がついた作品は30本。サブタイトルを入れると40本以上になり、これは日本歴代最多である。

また、映画史の中で出演俳優を念頭に、その人のために書かれた脚本が多かったのは美空ひばりが一番だった。映画出演170本の中で、ひばりが主題歌を歌っていない作品は「たけくらべ」(監督・五所平之助)の1本だけである。

しかし歌に映画、舞台と活躍したひばりも、1989(平成元)年6月24日、間質性肺炎による呼吸不全で永眠。享年52歳。逝去は石原裕次郎と同じ年齢だった。

猛烈なパッシングを受けた ひばり

ひばりは家族の暴力団との繋がりをマスコミに指摘され、猛烈なバッシングを受けた時期もあった。だから世間はなかなか正当な評価を与えようとしなかった。ひばりが大衆から完全に許されたのは、病に侵された晩年から逝去後だった。

歌唱力は日本の歌手の中では間違いなく一番だった。ひばりが立派だったところは「不屈」だったことで、バッシングを浴びようが、大病で倒れようが、不死鳥のように再起して歌い続けた。そうした事で没後、ようやく世間に認められたと言っても良いだろう。

ひばりは生涯、芸術作品には縁が無かった。しかし、あえてそれらしき作品を上げると、1954(昭和29)年の「伊豆の踊子」と、1955(昭和30)年の「たけくらべ」しかない。

昭和の大スター「2人の違い」 

昭和を代表するこの2人、人生が全く対極にあるのが面白い。生れ=裕次郎が1934(昭和区)年12月28日、神戸市須磨区大手町、家はサラリーマン家庭。ひばりは1937(昭和12)年、横浜市磯子区滝頭生まれで、家業は「屋根なし市場」の魚屋さん。

学校=裕次郎、慶応大学3年で中退。裕次郎は幼少、少年時代から工作、絵画、書道などで優秀賞を取っている。中学時代は文科系の成績が良く、美術、体育などの成績は優だった。

将来、画家を目指していた事も有り、絵と書道は晩年まで描いた。ひばりは9歳で芸能界デビューしたので、小学校にも満足に行けず、特別授業を受けてようやく卒業した。最終学歴は、精華学園高等部卒業。兄妹=裕次郎は兄(作家→衆議院議員→東京都知事→衆議院議員)1人。

ひばり、弟2人、長男(俳優→拳銃不法所持で刑務所服役→ひばりプロ専務)、次男(俳優→居酒屋「養老乃瀧」経営)、妹1人(専業主婦→歌手)。ひばりの弟2人は共に42歳で逝去している。

結婚=裕次郎は女優・北原三枝と結婚。子供はいない。夫人が裕次郎の死を見届けた。ひばりは、1962(昭和37)年11月5日、俳優・小林旭と結婚するも籍を入れず、1964(昭和39)年6月25日、1年7か月で離婚。子供が出来ず弟の息子・和也を養子にする。息子がひばりの最期を見届ける。

趣味=裕次郎は多趣味で、車、絵画、書道を始め、ワインコレクターとしても知られていた。読書に親しみ、日本文学全集はじめ、時代を代表する作家たちの作品を好んで読んだ。兄の著作も全部読んでいた。美術全集も収集して美術には造詣が深かった。ひばりは無趣味で歌のみに専念した。

衣装=これはよく比較される。裕次郎のファッションセンスは抜群で、着る物や小物は常に時代の最先端を行っていた。ラフなセーター、ワイシャツ、背広、サングラスなど、若者は大いに真似た。ひばりは着物以外、全くやぼったい衣装を着ていたので「演歌歌手は野暮ったい」とのイメージが定着した。

スポーツ=裕次郎は水泳、ヨット、スキーが好きで、時間を見つけてはスポーツに勤しんだ。

「たけくらべ」の画像
たけくらべ(昭和30年)

1961(昭和36)年1月24日、志賀高原スキー場で女性スキーヤーと衝突して右足首を粉砕複雑骨折し、完治まで8ヶ月かかった。ボートは「愛艇コンテッサー」を所有し、外海やハワイ沖を走らせていた。ひばりは全くのスポーツ音痴。しかし後年、ボーリングとゴルフを少し嗜んだ。

プロダクション=裕次郎は石原プロで、話題作映画を多く撮る。後年は「太陽にほえろ」「西部警察」などのテレビ番組に挑戦していった。俳優仲間が石原プロダクションに所属し活躍している。渡哲也、館ひろしなどのブレーンもしっかり裕次郎を支えている。

ひばりプロダクションは、母親など家族や身内中心で構成され、晩年はひばり自身が社長になり采配を振るった。現在は息子・和也が社長で、ひばりの歌の継承を中心にしている。タレントは居ない。

ファン=裕次郎は当初、男性ファンが中心だったが後年、女性ファンが多くなった。ファンクラブや後援会は無い。俳優仲間やファンが作った「ユージロ会」がある。

ひばりは圧倒的に女性ファンが多く、ファンを大切にしていた。活躍中は毎年ファンとの「新年茶話会」を各地で開催している。美空ひばり後援会は1951(昭和26)年5月26日に発足、現在まで64年間活動していて、毎年、生誕祭や映画会を実施。

会報も欠かさず発行している。後援会に守られ、ひばりの墓地は今でも、毎日花が途絶えることが無い。

実は筆者は「美空ひばりフィルムコンサート」を企画し、2005(平成17)年から全国の会館、ホールで実施している。今年2019(平成27)年で、14年目を迎える。

日本全国で既に203回を実施。ハワイ、ブラジルまで公演をした。どの会場でもその人気とファンの熱意には、いつも驚かされる。

没後、東京プリンスホテル(三回忌)、両国国技館(七回忌)、東京厚生年金会館(十三回忌)、日本武道館(十七回忌)、東京ドーム(二三回忌)と、節目の年に追悼コンサートを開いている事や、後援会が毎年、5月29日に「日比谷公会堂」などで生誕祭を開催。併せて、他の歌手との「ジョイントコンサート」も多い。

こうした公演や、デパートの「ひばり展」、お芝居「美空ひばり物語」の全国巡回公演始め、毎年テレビ番組などで多く取り上げられ、改めて美空ひばりの歌唱力の凄さと人気を知った人も多い。まさに日本を代表する歌手であり俳優といえる。

記念館=小樽にあった「石原裕次郎記念館」は2017(平成29)年8月31日に閉館した。美空ひばりの「東京目黒・美空ひばり記念館」(東京都目黒区青葉台1丁目4番地12号)は今も開業中である。

1957(昭和32)年の世相

〈南極観測、昭和基地建設〉

第1回の南極観測が行われ、1月29日、南極観測船「宗谷」が南極にたどり着いた。そこを「昭和基地」と名付け、西堀栄三郎越冬隊長以下11人の隊員と19頭のカラフト犬が越冬に入った。隊員はオーロラ観測、気象観測、内陸探査などに当たった。新しい南極観測の歴史が始まった。

〈変わる東京・有楽町界隈〉

♪あなたを待てば雨が降る…低音の魅力、フランク永井が歌う「有楽町で逢いましょう」が日本中に流れ大ヒットした。その有楽町が7年後の東京オリンピックに向け、工事、工事で街は大きく変貌しようとしていた。

駅前の「スシヤ横丁」や食堂街を改築する店が多くなり、廻りでは「そごうデパート」「西銀座デパート」「東京交通会館」、高速道路、都電の迂回工事など建設ラッシュで大混乱だった。

〈集団就職列車走る〉

3月、金の卵である中学卒業生の集団就職列車が走ったのもこの年。東京・世田谷区の桜新町商店街が合同で求人斡旋を依頼した事から始まった集団就職は、高度経済成長を支える「金の卵」と言われた。

生まれた土地と家族に別れを告げ、夢見た都会へやって来た少年少女たち。まだ幼さの残るその表情は希望にあふれていた。勤め先は中小工場や商店。恵まれた職場ばかりではなかった。上野駅に着いた瞬間から、かれらの「くじけちゃいけない人生」が始まったのである。井沢八郎の「あゝ上野駅」が大ヒットしたのは1964(昭和39)年だった。その間八万人近い中卒の就職者が上京した。

〈その他の出来事〉

1月13日、美空ひばりが、浅草国際劇場で19歳の女性ファンに塩酸をかけられ全治3週間の火傷を負った。2月6日、広島県での陸上自衛隊夜間行軍演習で、隊員2人が死亡。「死の行軍」として問題視された。

4月29日、新東宝の「明治天皇と日露大戦争」(監督・渡辺邦男)が大ヒット。明治天皇を実名で登場させた初めての映画だった。12月10日、静岡・天城山で元満州国皇帝の姪、(19歳)と学習院大学同級生がピストルで心中。遺体が発見された。

Filed Under: 昭和(中期) Tagged With: 東映, 松竹, 石原裕次郎, 美空ひばり

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著者紹介(西川昭幸)

アバター1941年北海道生まれ。東洋大学社会学部卒。
映画会社勤務などを経て現在、公益社団法人理事。
<主な著作>
「北の映画物語」(北海タイムス社)、
「美空ひばり公式完全データブック 永久保存版」(角川書店)、
「活字の映画館 明治・大正・昭和編」(ダーツ出版)、
「日本映画100年史」(ごま書房新社)、
「美空ひばり最後の真実」(さくら舎)、
「昭和の映画ベスト10、男優・女優・作品」(ごま書房新社)

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