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日本映画100年史

本【日本映画100年史】をリアルタイムで加筆していく、ライブブックブログ!

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1956(昭和31)年の世相

2019.10.29 by 西川昭幸

1955(昭和30)年〜1965(昭和40)年

反戦映画「ビルマの竪琴」騒動! 

1956(昭和31)年1月21日、「ビルマの竪琴」(日活)が公開された。ドイツ文学者・竹山道雄の児童向け小説「ビルマの竪琴」を読んだ映画監督の市川崑が、カラー映画化と現地撮影を条件に日活で映画化を決めた。

「ビルマの竪琴」の画像
ビルマの竪琴(昭和31年)

内容は、太平洋戦争終戦後も、天皇による戦争終結の放送が流れたことも知らずビルマで戦闘を続ける日本兵がいた。英軍の捕虜となった水島上等兵(安井昌二)は自ら志願し、日本軍に投降を呼びかけに行く。だが、徹底抗戦派は説得を受け入れずに玉砕。

戦場に散乱する白骨を目にした水島上等兵は、復員する原隊に戻らず、白骨化した死体を1つひとつ埋葬し供養して回る。

平和主義者としての一面が作品に

反戦映画といえば、左翼映画人の独壇場だった。しかし、共産主義に批判的だった竹山の原作には、軍隊内のひずみは描かれていない、登場する日本軍将校はすべて善良だ。原作者のそうした平和主義者としての一面が作品にも生かされている。

しかしこの作品、ビルマロケの許可が、なかなか下りず、急遽、国内撮影分のみ第1部として製作、公開した。その後、1956(昭和31)年1月に水島役の安井昌二のみが同行して1週間のビルマロケを行った。

市川と日活の当初約束では、2月に完全版の総集編(当然第一部とは中身が一部重複する)を封切る予定だった。

しかし会社側は「すでに第1部のポジフイルムを何10本も焼いていて勿体ない」とクレーム。このため、公開時点で「総集編」と「第1部+第2部」の上映が混在したという。このことが禍根となり、市川崑は日活を辞める。

この作品は1956(昭和31)年、ベネチア国際映画祭サン・ジョルジヨ賞、キネマ旬報ベストテン第5位にランクされた。

中井貴一主演で再映画化

市川崑が当初の希望だったカラー化は、1985(昭和60)年7月、中井貴一主演で再映画化され実現した。シナリオのラストに書かれたビルマの赤い土、赤い岩、黄色い僧服が、スクリーンに鮮やかに映し出された。

市川崑の執念である。1983(昭和58)年に逝去した、この作品の脚本を担当した和田夏十(監督夫人)へのオマージュ

でもあった。

石原裕次郎と美空ひばり 

1956(昭和31)年、映画界に激震が走った。日活俳優・石原裕次郎の登場である。彗星のように現れた裕次郎は、この年、兄の石原慎太郎が芥川賞を取った原作の映画化「太陽の季節」(監督・古川卓巳)で鮮烈なデビューをした。

日本人離れしたスタイルと不良っぽい雰囲気でタフガイ石原裕次郎が現れ、その型破りな存在感が若者を捉えた。

日活の救世主として現れた裕次郎はその後、日本を代表する俳優へと成長する。デビュー当時、誰もが裕次郎の脚の長さに驚いた。身長一八二㎝、股下は八五㎝あったという。日本のタフガイ裕次郎はハリウッドスターにも負けないくらい、立派なものだった。

裕次郎は兄・慎太郎が芥川賞を受賞した「太陽の季節」の出版記念会があった時、日活のプロデューサー水の江滝子の目に留まり、映画出演を口説かれ、主人公の友達役として出演した。これが良かった。

その後、「狂った果実」「乳母車」など年間7本に出演、翌、1957(昭和32)年には「勝利者」「幕末太陽伝」「鷲と鷹」「嵐を呼ぶ男」など10本に主演し、短期間に押しも、押されもせぬスターダムにのし上がった。

「石原裕次郎と美空ひばり」の画像
石原裕次郎と美空ひばり

裕次郎ブームに火がついて行く

「裕ちゃん」として親しまれ、1958(昭和33)年の正月映画「嵐を呼ぶ男」が映画主題歌と共に空前の大ヒット。同じ年の「勝利者」でブルーリボン新人賞を受賞。

その後も「陽の当たる坂道」「錆びたナイフ」などで裕次郎ブームに火がついて行く。

1959(昭和34)年、裕次郎は超売れっ子スターで、ハードスケジュールなど、公私ともに心身が疲れ果ててしまい、3週間の失踪事件を起こす。実はこの失踪先が、小樽の料亭「海陽亭」だった。裕次郎は当時、人気絶頂だった北原三枝を口説いて恋人にする。

裕次郎は結婚の返事を渋る

北原三枝は結婚を考えた上での交際だったが、当然女優として人気が落ちてくる。一方裕次郎は人気が上昇する。そうする中で裕次郎は男として逃げるわけではなかったが、スターとしてもう少し修行をしたかった。そのため裕次郎は結婚の返事を渋る。

それを北原三枝に責められて、小樽に逃避行する。北原三枝が、札幌に居る裕次郎の知人に、裕ちゃんの居場所を教えてくれと泣きつく。知人はどうしょうもなく「海陽亭」へ連れて行く。

しかし、2人では話がまとまらない。困って、日活プロデユーサーの水の江滝子(小樽市出身)に連絡して来てもらう。そこで、初めて結婚の約束が成立する。「海陽亭」はお父さんがひいきにしていたので、幼い裕次郎はそこの女将にかわいがられていた。

札幌の知人は誰れあろう谷井新蔵である。谷井は慶応大学卒業後「キネマ旬報」に入り、その後日活社員として活躍していたので、俳優、監督などとは親交があった。「海陽亭」に北原三枝を連れて行った時、裕ちゃんに怒られたと回顧している。

「黒部の太陽」の画像
黒部の太陽(昭和43年)

1960(昭和35)年、女優・北原三枝とアメリカに婚前旅行。当時、スター同士の結婚は認められず、日活から大反対されたが、事実関係を作ることによって意思を貫き、12月2日、日活ホテルで結婚式を挙げる。

日本映画界を牽引していく

1963(昭和38)年、石原プロモーションを設立、石原プロ第一作「太平洋ひとりぼっち」の主演で、第18回芸術祭賞を受賞。その後も、日活と石原プロを使い分け、ヒット作を連発し日本映画界を牽引していく。

1968(昭和43)年3月1日公開の、三船プロと共同制作した、「黒部の太陽」をめぐり「五社協定」と対立。裕次郎は企画、資金調達、プロデユーサーなど、すべて、自分の責任で進めていたが、いろいろと苦しい状況に追い込まれていた。

映画公開を日活堀社長に反対され、製作中止まで追い込まれた。その悔しさで、キッチンで男泣きしている裕次郎を夫人は影から見ていた。裕さんの泣いた姿を初めてみたと語っている。

困難にもめげず完成した「黒部の太陽」は大きな反響を呼び、その年の興行収入ベストワンに輝いた。観客動員733万7千人、配給収入7億6,111万円を記録した。この作品の実績は大きく、彼の代表作にもなった。

日本映画界の巨星が落つ

生涯総出演映画102本。歌う俳優の代表格だった裕次郎は歌も好きだった。レコーディング曲521曲は俳優としては多い。1987(昭和62)年7月17日、「肝細胞癌」で逝去。52歳の生涯だった。昭和の大スター、日本映画界の巨星が落ち、惜しまれる死だった。

Filed Under: 昭和(中期) Tagged With: ベネチア国際映画祭, 安井昌二, 市川崑, 日活, 水の江滝子, 石原裕次郎

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著者紹介(西川昭幸)

1941年北海道生まれ。東洋大学社会学部卒。
映画会社勤務などを経て現在、公益社団法人理事。
<主な著作>
「北の映画物語」(北海タイムス社)、
「美空ひばり公式完全データブック 永久保存版」(角川書店)、
「活字の映画館 明治・大正・昭和編」(ダーツ出版)、
「日本映画100年史」(ごま書房新社)、
「美空ひばり最後の真実」(さくら舎)、
「昭和の映画ベスト10、男優・女優・作品」(ごま書房新社)

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