
1966(昭和41)年〜1988(昭和63)年
スクリーンHOT情報
北海道テレビ放送(HTB)が映画情報番組「スクリーンHOT情報」をスタートさせたのは、1979(昭和54)年10月。毎週金曜日、夜11時からの15分番組で有った。
この番組、筆者が企画して局に持ち込んだ。東映の映画宣伝が目的で、予告編を編集し放送した。北海道テレビ放送(テレビ朝日系)は、1968(昭和43)年11月3日に本放送を開始した局で、他局より後発だった。
営業担当の平野益延の努力も有り実現した番組だった。しかし、さすがに東映1社だけとは行かず、その後は他社へも声をかけた。
本格的な情報番組としてスタートする
スタートしてみると以外に評判がよく、翌年の4月4日(金)から司会者も変わり、本格的な情報番組としてスタートする。持ち込み番組から局編成の番組と衣替えした。
新しい司会者は長谷川宏和と栗葉貴代子の2人。以後、2人の軽妙なやり取りや、各社の映画キャンペーンが多くなり俳優、監督などの出演が増えたので、番組は充実し視聴率も安定する。半年に1度は30分拡大のスペシャル番組にもなった。
1985(昭和60)年1月から司会者も栗葉貴代子から〝五十嵐いおり〟に代わり後年、番組も土曜日深夜に移り、時間も15分から20分、20分から30分と伸びた。

映画鑑賞に欠かせない番組として成長
この番組、映画各社に取っては貴重な番組で、地方キャンペーンの核に据えてスケジュールが組めた。視聴者にとっては茶の間で映画内容が分かり、出演者の話が聞けるなど、映画鑑賞に欠かせない番組として成長していく。
その後、局の看板番組になるが、1993(平成5)年3月27日終了する。13年6ヶ月続いた長寿番組で、北海道の映画を語るときに欠かせない番組だった。
併せてローカル局がこうした番組を放送していたのは全国でも北海道テレビ放送だけで、そうしたことでも意義深いので特記しておきたい。実はこの番組、NET(現・テレビ朝日)の「東映アワー」にヒントを得ていた。

「日本教育テレビ(NET)」として認可
1957(昭和32)年7月、東映がテレビ界へ進出を計って「国際テレビ放送」として郵政省に電波割り当ての申請を出すも許可が下りず、旺文社が出していた「日本教育放送」と一緒になることで、1957(昭和32)年11月「日本教育テレビ(NET)」として認可される。
これが今の「テレビ朝日」である。1959(昭和34)年2月1日、本放送の開始に当たり、素材不足は深刻で、そのとき東映映画を紹介する番組、「東映アワー」が生まれた。第1回放送は1958(昭和33)年2月2日(月曜日)朝6時15分。15分番組だった。
この当時、映画会社が単体の番組で映画を紹介することは画期的だった。しかし後発局の悲しさで、局全体の視聴率が上がらず注目度が低かった。以降、曜日、時間の変更や全国ネット29局の時なども有ったが、1974(昭和49)年で終了。約15年間の放送に幕を閉じた。
製作は東映宣伝部。昭和40年時の製作担当は、初代・関根忠郎氏から古南晴三プロデューサーに変わり、筆者もこの番組に関わっていたので16㎜素材の編集を覚え、局の放送システムやメカニズムも取得した。忘れがたい番組で「スクリーンHOT情報」は「東映アワー」の応用編でもあった。

