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日本映画100年史

本【日本映画100年史】をリアルタイムで加筆していく、ライブブックブログ!

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世界に認められた最初の日本映画「羅生門」(その一)

2019.10.23 by 西川昭幸

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1950年(昭和25年)

「羅生門」の画像
羅生門(昭和25年)

ベネチア国際映画祭でグランプリを受賞

1950(昭和25)年8月26日に公開された「羅生門」が、昭和26年9月、ベネチア国際映画祭でグランプリ(金獅子賞)を受賞した。これまで現地では、アメリカ、ヨーロッパ以外の作品は殆ど知られていなかったので、黒澤明を世界の一級監督にしたのと同時に、三船敏郎を国際的な名優の仲間入りをさせた作品である。

三船敏郎の盗賊・多襄丸が、その精悍な半裸体で密林の中をヒョウのように走り、まだらな日光をきらめかせて、夫を殺し、妻を犯し盗むというところが、まずヨーロッパ人にはシヨックを与えた。それは外国人一般が日本人に対して抱くことの野蛮、野獣性、東洋的な不条理などの観念に、ぴったりと適合した。

日本映画が世界に紹介されるきっかけとなった

「羅生門は」が日本人の民族的性格を誤解させた、などということは全く無いし、それどころか日本人の芸術的能力に、世界は驚いたに違いない。いかにも日本人らしい荒々しく粗野な悪漢の画像が観客の度肝をぬいたことは間違いなく、日本映画が世界に紹介されるきっかけとなった。

「羅生門」(監督:黒澤明)は、戦乱や天変地異、疫病が続く平安の世を舞台に、武士の殺害の状況を証言する関係者の陳述の食い違いが、人間のエゴを暴き出していく。芥川龍之介「藪の中」の小説を橋本忍が脚色。これを黒澤が手直しし、大映に持ち込んだ。

大映首脳陳は脚本の難解さに頭を抱えたが、新人・京マチ子の起用、出演者が少数、セットも羅生門と検非違使の塀だけという条件に映画化を承諾。ところが、羅生門のセットが、高さ20m、奥行き22m、間口33mと巨大なことに気が付いたときは遅かった。

ある重役は「あれなら、セットの100杯建てたほうが良かった」と嘆いたという。この羅生門の完成試写を見た、大映の永田雅一社長は「この映画、訳がわからん」と憤慨し、途中で席を立ってしまった。

公開されても、難解な作品と言うこともあり、評価はまさに不評で興行として散々だった。作品は日本ではキネマ旬報ベスト・テン第5位にランクされる程度だった。これで永田の怒りは収まらず、企画者の本木荘二郎をクビにし、総務部長を北海道へ左遷してしまった。

黒澤明はグランプリ、永田雅一はシランプリ

しかし、ベネチアで受賞が決まると、永田の態度が一変、これを自分の手柄のように語り、お得意のラッパ(演説)を吹きまくった。世間はそんな永田の態度を「黒澤明はグランプリ、永田雅一はシランプリ」と揶揄した。黒澤も後年、このことを回想し「まるで羅生門の映画そのものだ」と評している。

デビット・リンチ監督は、その著「黒澤明の映画」で、「羅生門は日本に深いショックを与えた、その理由のひとつは(略)、日本の批評家たちが、この作品をケナしてしまっていたので(略)、他の国々でもヒットした事実をどう、説明したらいいのか、茫然自失という状態であった」と皮肉った。

「源氏物語」、「雨月物語」、「山椒大夫」、「地獄門」

しかし永田雅一はこれ以降、芸術路線を取り「源氏物語」、「雨月物語」、「山椒大夫」、「地獄門」を製作し、海外映画祭へ出品し受賞する。

「羅生門」の受賞は、スタッフ、キャストの努力の結晶だった。京マチ子はこの役を熱望し、まゆ毛を剃ってオーデションに臨んだ、原節子を予定していた監督も、京マチ子の熱意を買い京に決めた。これが当たり、京マチ子は毎日映画コンクール女優演技賞を受賞し、外国でも認められる国際女優へと成長する。

(その二へ続く)

Filed Under: 四方山話, 昭和 Tagged With: ベネチア国際映画祭, 三船敏郎, 京マチ子, 大映, 永田雅一, 黒澤明

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著者紹介(西川昭幸)

アバター1941年北海道生まれ。東洋大学社会学部卒。
映画会社勤務などを経て現在、公益社団法人理事。
<主な著作>
「北の映画物語」(北海タイムス社)、
「美空ひばり公式完全データブック 永久保存版」(角川書店)、
「活字の映画館 明治・大正・昭和編」(ダーツ出版)、
「日本映画100年史」(ごま書房新社)、
「美空ひばり最後の真実」(さくら舎)、
「昭和の映画ベスト10、男優・女優・作品」(ごま書房新社)

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