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日本映画100年史

本【日本映画100年史】をリアルタイムで加筆していく、ライブブックブログ!

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高度経済成長で昭和文化の花開く

2019.10.22 by 西川昭幸

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1955(昭和30)年〜1965(昭和40)年

1955(昭和30)年の世相 

〈船橋ヘルスセンター開業〉

11月30日、敷地面積12万坪のレジャーランド「船橋ヘルスセンター」がオープンし人気を集めた。戦後10年。この年の秋、未曽有の好景気が訪れ、高度経済成長期の幕があけた。

その勢いに乗るかのように、千葉・船橋の広大な埋め立て地に前代未聞の巨大レジャーランドは温泉から飛行場までなんでもあり、人々は列をなした。

温泉から上がった客は大広間で弁当を食べながら、舞台で繰り広げられる歌や踊りを楽しんだ。

平日6,000人、休日には1万人を超える客が詰めかけた。以後、これを模倣したレジャーランドが全国に乱立する。

「栃錦と若乃花」の画像
栃錦と若乃花(昭和34年)

〈大相撲は栃若時代来る〉 

近代相撲の祖、“マムシ”栃錦と“土俵の鬼”若乃花(初代)。小兵ながら圧倒的強さと人気を誇った2人。大相撲史上最高のライバル関係に日本中が熱狂した。照国、羽黒山、東富士、鏡里、吉葉山などの古風な力士群の中に台頭してきた、栃錦と若乃花は際立って個性的な存在で、近代相撲の名とともに両者が昭和大相撲の基盤をつくった。

〈その他の出来事〉

3月2日、横浜の中学生が、プロレス遊びで頭を殴られ死亡。この頃、プロレスごっこによる事故が頻発した。

7月15日、タレントのトニー谷の長男(6歳)が身代金目的で誘拐される。21日、犯人を逮捕し、長男を保護した。この年、洗濯機と、寝ている間にご飯が炊ける炊飯器が普及し、お母さんにとって夢のような話が現実になった。家電時代の幕開けだった。

東映2本立興行に突入 

昭和30年代前半、映画界は史上空前の黄金期を迎えようとしていた。その口火となったのが、東映の自社2本立て興行だった。

これは東映が2本立て全プロ興行で専門館を増やす以外に、生きる道が無いと判断し「ひめゆりの塔」(監督・今井正)や「日輪」(監督・渡辺邦男)のヒット以降、増資に次ぐ増資で撮影所の拡大を図り、その勢いに乗って積極的に邦画界へ攻撃を仕掛けた。

「新諸国物語・紅孔雀」の画像
新諸国物語・紅孔雀(昭和30年)

2本立て体制は1950(昭和25)年頃にも試みられていた。松竹のシスター映画、東宝のプラザ—映画がそれ。新作中編や旧作を併営したが、製作費が急増して失敗していた。

東映は、他社との組み合わせでプログラムを作っていたが、興行収益に限度があるので、1954(昭和29)年下期から、松竹のシスター映画を模倣した「東映娯楽版」と銘打った中編物の製作に乗り出した。

本編と娯楽版の2映画

これは、現場を任されていたマキノ光雄専務(牧野省三の次男)の英断だった。低予算映画と批判されながらも、自社作品を2本立てにし、本編と娯楽版を組み合わせたのだ。

本編というのは、当時の人気スター市川右太衛門と片岡千恵蔵の2人を主役にした映画で、娯楽版というのは、30分から、せいぜい50分ぐらいの若手スターを使った中編物である。

中編物の製作は2本立てのための併映用だったが、子供に人気の連続娯楽時代劇として、中村錦之助(後の萬屋錦之介)の「新諸国物語・笛吹き童子」、「紅孔雀」、東千代之介の「里見八犬傳・妖刀村雨丸」などを公開した。これが子供を中心に大人気になった。

こうした新人スターを登用することによって金的を射とめ、1955(昭和30)年1月から長編との組み合わせによる2本立て全プロを本格化をさせる。

「時代劇の東映」の黄金時代

これが、興行的に安定したので東映は映画館も増え高稼働した。

この「東映娯楽版」が当り、全国の直営劇場も急ピッチで整備され、東映の第一期黄金時代を作って行った。

たかが子供相手のチャンバラ映画、分相応のジャリ映画と蔑まれた娯楽版を含む時代劇が東映のドル箱になった。以後東映は「時代劇の東映」として黄金時代を築いた。

考えて見ると、ここまで来るのには、運も良かった。というのは日本の民主化が進むにつれて、そのころまで骨抜き同然に制約されていた時代劇が緩和されたことであった。

時代劇は水をえた魚のように飛躍しだした。片岡千恵蔵、市川右太衛門は元より、かっては時代劇の本陣といわれた大映から、優秀なワキ役、裏方、など、時代劇スタッフの大半を迎え入れたことが、時代劇開放になった今、役立った。東映時代劇が他社の追隨を許さない強みはここにあった。

作品の質的低下で日本映画の苦境始まる

この東映の成功を見て、各社はこぞって2本立て興行を始める。だが同時に、2本立て興行のあおりで、映画製作の乱作が始まり、作品の質的低下を招き、日本映画の苦境が始まる。

併せて邦画の人気は落ちていく。なにしろ、最盛期の東映などは年間に190本前後の映画をつくった。質の低下はいなめなかった。その後、邦画市場の50パーセント近くを抑えた東映は更に、1960(昭和35)年3月1日、第二東映を発足させる。

しかし、テレビの進出で観客動員が低下した事や、低予算作品の安易な企画が観客に見透かされて、客の入りが悪くなり、この第二東映は、1961(昭和36)年11月22日に解消する。1年8ヶ月の短命だった。

しかし、この変わり身の速さが、その後の東映を支える。

この第二東映で、高倉健、北大路欣也、松方弘樹、千葉真一、梅宮辰夫、田代百合子、丘さとみ、監督では深作欣二、工藤栄一などがデビューした。

アイドル映画の元祖「ジャンケン娘」 

この年、芸能月刊誌「平凡」に中野実が連載していた、小説「ジャンケン娘」が、東宝で映画化された。監督・杉江敏男、出演・美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ。物語は、たわいない友達の初恋騒動と親子関係の話である。

「「ジャンケン娘」の画像
ジャンケン娘(昭和30年)

しかしこの時代の、ビックアイドル3人の出演は、夢の実現であった。超多忙の3人は、所属事務所、レコード会社、フアンも異なり、共演が困難と言われていた。しかし、それが実現。3人の共演が注目を集め、映画は大ヒット。この年の興収ベストテン3位に入った。

以降、東宝はこの3人出演で「ロマンス娘」1956(昭和31)年、「大当り三色娘」1957(昭和32)年、東宝初のシネマスコープ作品)、「ひばり・チエミ・いづみ三人よれば」1964(昭和39)年の4作を撮って当てた。監督は全作、杉江敏男。この作品、その後のアイドル映画に影響をあたえた。

Filed Under: 昭和(中期) Tagged With: マキノ光雄, 杉江敏男, 東映, 江利チエミ, 美空ひばり, 雪村いづみ

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著者紹介(西川昭幸)

アバター1941年北海道生まれ。東洋大学社会学部卒。
映画会社勤務などを経て現在、公益社団法人理事。
<主な著作>
「北の映画物語」(北海タイムス社)、
「美空ひばり公式完全データブック 永久保存版」(角川書店)、
「活字の映画館 明治・大正・昭和編」(ダーツ出版)、
「日本映画100年史」(ごま書房新社)、
「美空ひばり最後の真実」(さくら舎)、
「昭和の映画ベスト10、男優・女優・作品」(ごま書房新社)

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