
1966(昭和41)年〜1988(昭和63)年
〈靖国神社A級戦犯を合祀〉
この年の秋、明治維新以来の戦没者をまつる東京・九段の靖国神社に、太平洋戦争後の東京裁判でA級戦犯とされた、東条英機元首相ら14人がひそかに合祀された。

合祀されたのは、秋季例大祭前日の10月17日。遺族や関係者にはいっさい知らせないまま、神社側の判断で行われた。明るみに出たのは、翌年1979(昭和54)年のこと。
神社側は、「戦後33年も経過していることや、明治以来の伝統から靖国へまつることが適当であると判断した。あらぬ刺激を与えたくなかったが、隠す気持ちもなかった」と説明した。
だが、「A級戦犯の合祀は、戦争肯定につながる」とする声も多く、メディアの大きな反響とともに国民の間に復雑な感情を呼び起こし、いまでも賛否が問われ、この年から天皇は参拝しなくなった。
〈キャンディーズ解散〉
前年7月に引退発表をしたキャンディーズが、4月4日東京・後楽園球場に5万人のファンを集めて「さよなら公演」を行った。「普通の女の子になります」「私たちはしあわせでした」の言葉を残し、5年間の歌手活動から引退した。

〈その他の出来事〉
7月22日「サタデー・ナイト・フィーバー」が上映され、ディスコブームが起きる。海外旅行熱が高まる中、待望の新国際空港(成田)が問題山積のまま5月20日開港した。
巷で流行ったのは、女性のタンクトップやベアトップ。秋からインベーダーゲームが流行、翌年にピークになる。映画界では薬師丸ひろ子主演の「セーラー服と機関銃」が大ヒットし、角川映画の時代が到来したことを告げた。
「柳生一族の陰謀」で時代劇復興か
この年、東映の大型時代劇「柳生一族の陰謀」(監督・深作欣二)が1月21日に公開され、配収12億2千万円とベストテン3位に入る大ヒットになった。12年間、時代劇の製作から遠ざかっていた東映が、時代劇復興をめざした作品である。1本立て大作興行で他社に後れをとり、ヤクザ映画の人気が終わり、先行きの見えない不振にあえいでいた東映が見事に息を吹き返した。

この作品、1966(昭和41)年に東映を去っていた萬屋錦之介を、12年振りに主役に据え、千葉真一、松方弘樹、西郷輝彦、三船敏郎、大原麗子、山田五十鈴など豪華スター陣を結集させた。
スタッフも、監督・深作欣二。脚本・野上龍雄、松田寛夫。ナレーター・鈴木瑞穂。音楽・津島利章。撮影・中島徹。殺陣・上野隆三、菅原俊夫の豪華陣であった。作品準備にも時間をかけた。現場は「時代劇の東映」の黄金期さながらの豪華なセットを組むなど、東映京都撮影所が一丸となって臨んだ。
セリフやカメラワークも現代劇に近いものに
演出の深作は初めての時代劇で、従来の型にはまった時代劇を壊し、スピード感のある演出を狙った。そのためセリフやカメラワークも現代劇に近いものにした。しかし、これが、昔ながらのセリフと演技をする萬屋錦之介と衝突し、現場は大混乱に。
それでも何とか完成した「柳生一族の陰謀」は大当たり。時代劇の復興を印象づけた。これにすっかり気をよくした岡田茂社長が、時代劇の1本立て企画を強引に推し進める。次回作がこの年の10月28日公開した「赤穂城断絶」(監督・深作欣二)である。
しかし、主演・萬屋錦之介、監督・深作欣二は、前作と同じ組み合わせで、2人の演出に対する考え方が全く違うので、上手く行くはずもなく、作品の完成度が落ち、興行も成功とは言えなかった。
東映の悪しき体質を露見
続く、1979(昭和54)年8月4日公開の「真田幸村の謀略」(監督・中島貞夫)。1980(昭和55)年5月24日公開の「徳川一族の崩壊」(監督・山下耕作)と連打するが失敗。この失敗で京都撮影所の士気もすっかり低下してしまう。
岡田社長のワンマン体制と時代を見る目、企画の安易さ、併せて準備不足が失敗の原因で、東映の悪しき体質を露見してしまった。
これ以降、東映は時代劇の1本立て興行を中止する。しかし、この時期、角川映画が1981(昭和56)年6月6日公開した「魔界転生」(監督・深作欣二、主演・沢田研二、千葉真一)が、配収11億円と、大ヒットしたのは皮肉な現象だった。

