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日本映画100年史

本【日本映画100年史】をリアルタイムで加筆していく、ライブブックブログ!

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描き続けた小津ワールド

2019.10.04 by 西川昭幸

1951(昭和25)年〜1955(昭和29)年

家族を描いた名作「東京物語」生まれる 

この映画に思いを馳せる人は多い。それほど世界中で観られ、愛好家が多い。「東京物語」(監督・小津安二郎)が公開されたのは1953(昭和28)年11月3日。監督・小津安二郎は、黒澤明、木下恵介、溝口健二とともに日本を代表する監督。その小津が無声映画期から一環して描き続けた親子関係がテーマで、その集大成ともいえる作品。昭和28年度文化庁芸術祭参加作品でもある。

「東京物語」の画像
東京物語(昭和28年)

国際的にも非常に評価が高く、各国で選定される世界映画のベストテンでも常に上位になる。小津作品は低い位置にカメラを固定し、人物を撮る演出が「小津調」といわれ話題にもなった。

小津安二郎監督の集大成ともいえる作品

物語は広島・尾道に暮らす周吉(笠智衆)とその妻・とみ(東山千栄子)が東京に暮らす子供たちの家を久しぶりに訪ねる。しかし長男の幸一(山村聰)も長女の志げ(杉村春子)も毎日の仕事が忙しくて、両親をかまってやれない。

寂しい思いをする2人を慰めたのが、戦死した次男の妻・紀子(原節子)だった。紀子はわざわざ仕事を休んで、2人を東京見物に連れて行く。周吉ととみは、子供達からはあまり温かく接してもらえなかったが、それでも満足した表情を見せて尾道に帰った。

ところが、帰郷してから数日もしないうちに、とみが危篤状態になり、電報が子供たちに届く。子供たちが尾道の実家に到着した翌日の未明に、とみは他界する。

とみの葬儀が終わった後、志げは次女の京子(香川京子)に形見の品をよこすよう催促する。京子は憤慨するが、紀子は義兄弟(山村聰と大坂志郎)をかばい若い京子を静かに諭す。紀子以外の子供たちは、葬儀が終わるとそそくさと帰って行った。

人間の孤独感、死生観を描いた

紀子が東京に帰るとき、周吉は上京した際の、紀子の優しさに感謝し、妻の形見だといって紀子に時計を渡す。感謝し号泣する紀子。皆が帰った後、がらんとした部屋で1人、とみの遺影を背に、周吉は静かな尾道の海を眺めるのだった。

「親と子の成長を通じて、日本の家族制度がどう崩壊するかを描いてみたんだ。僕の映画の中ではメロドラマの傾向が一番強い作品です」と監督が語っているこの作品は、人間の孤独感、死生観といったテーマまでも取り込み、味わい深い作品となった。

原節子演じる紀子というヒロイン名は、小津作品の「晩春」「麦秋」「東京物語」とあり「紀子三部作」と呼ばれている。小津安二郎は原節子の魅力を巧く引き出し、数々の名作を出した。原は小津の死と共に俳優を引退する。小津に殉じたのだろうか。惜しまれる引退だった。

1954(昭和29)年の世相 

〈第五福竜丸が「死の灰」浴びる〉

3月1日午前4時12分、西太平洋マーシャル諸島海域で、マグロ船、第五福竜丸が操業していると、閃光が走り暗闇の海を明るく照らしだした。

この後、白い原子雲が生じ、7時30分頃、空から白い灰のような物質が盛んに降って来て、裸で作業をしていた乗組員の体や顔に当たった。「死の灰」を浴びてから数時間後、乗組員全員が吐き気、頭痛、眼痛、めまい、息切れ、食欲不振を訴えた。第五福竜丸は直ちに帰路に就いた。

3月14日、焼津港に着いた乗組員たちは病院で「原爆病」と診断される。被災者23人は頭髪が完全に脱毛し、顔、皮膚、胸などに紅斑、浮腫が現れた。この事件により広島・長崎以来、確実に破壊力を増した核の脅威は世界中を震え上がらせた。

〈台風で洞爺丸転覆〉

9月26日、国鉄青函連絡船「洞爺丸」が台風15号による暴風雨と波浪のため、函館港外の七重浜沖で転覆、沈没、死者行方不明者1,155人を出す大惨事が起きた。

洞爺丸は台風接近のためいったんは出港を中止したが、風が弱まり晴れ間も見えたので午後6時39分に函館港を出た。しかし、その前後から再び強風となり、函館港外で仮泊したものの、瞬間最大風速50㍍以上の猛烈な風と高波により、車両甲板から浸水。

午後10時41分、SOSを打電した後、通信が途絶えた。この夜は他にも4隻が遭難。合計1,400人を超える犠牲者を出した。まさに日本海難史上最大の事故となった。

〈テレビからプロレスブーム起きる〉

1954(昭和29)年2月19日、人々は街頭テレビに映し出された映像にくぎづけになった。初めて見るプロレス中継。そして、外国人に颯爽と立ち向かう黒タイツ姿の力道山。これまでにない新たなヒーローの誕生に、敗戦国・日本が久しぶりに爽快感を味わった。

プロレス中継が始まると、関東一円に置かれた街頭テレビのまわりは黒山の人だかりができ、新橋駅前では最大1万2,000人まで膨れあがった。

「力道山」の画像
プロレス・力道山(昭和29年)

〈その他の出来事〉

1月2日、皇居一般参賀に3万人が参加。転倒事故が起き、死者12人の二重橋事件が起きた。4月27日米映画「ローマの休日」公開。6週間で34万人の観客動員で超ヒットになり、ヘプバーン旋風が起きた。

9月6日、黒澤明監督の「七人の侍」と溝口健二監督の「山椒大夫」がともにベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。9月15日、木下恵介監督「二十四の瞳」公開。11月3日、特撮怪獣映画「ゴジラ」公開。

歌では春日八郎の「お富さん」が空前のヒット。メロディーも軽快で歌いやすく、幅広い年代に歌われた。特に「死んだはずだよお富さん」と言う歌詞は流行語になった。

Filed Under: 昭和(中期) Tagged With: 力道山, 原節子, 小津安二郎, 笠智衆

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著者紹介(西川昭幸)

1941年北海道生まれ。東洋大学社会学部卒。
映画会社勤務などを経て現在、公益社団法人理事。
<主な著作>
「北の映画物語」(北海タイムス社)、
「美空ひばり公式完全データブック 永久保存版」(角川書店)、
「活字の映画館 明治・大正・昭和編」(ダーツ出版)、
「日本映画100年史」(ごま書房新社)、
「美空ひばり最後の真実」(さくら舎)、
「昭和の映画ベスト10、男優・女優・作品」(ごま書房新社)

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