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日本映画100年史

本【日本映画100年史】をリアルタイムで加筆していく、ライブブックブログ!

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松竹の寅さんと東映のサニー・チバ

2019.09.20 by 西川昭幸

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1966(昭和41)年〜1988(昭和63)年

「男はつらいよ」の興収を支えた併映作品

 1974(昭和49)年12月28日公開の「男はつらいよ 寅次郎子守唄」(監督・山田洋次、マドンナ・十朱幸代)が、興収ベストテン2位に入った。

「男はつらいよ」シリーズが、興収ベストテンに登場するのは、1971(昭和46)年12月29日公開の「寅次郎恋歌」(第8作・マドンナ・池内淳子)からである。それ以降、昭和48年の「寅次郎忘れな草」(第11作)、「私の寅さん」(第12作)を除き、毎年、ベストテンに入る常連となった。

「男はつらいよ」の画像
男はつらいよ・寅次郎子守唄/渥美清(昭和40年)

最後の作品となった、1996(平成8)年12月23日公開の「寅次郎紅の花」(第48作、マドンナ・浅丘ルリ子)まで23年間続いた。驚異である。

このシリーズは確かに強かった。しかし、邦画特有の2本立て興行の、併映作品が強力であった事を忘れてはならない。

第4作から、当時人気があった、ハナ肇「為五郎」シリーズ(監督・山田洋次)が付き、第8作からは人気絶頂の「ザ・ドリフターズ全員集合」シリーズが第16作まで続いた。

この作品は人気があった。後半になる第40作から「釣りバカ日誌」が登場。更に強力セットとなった。寅さん映画の興収を支えて来たのは、こうした併映作品が強かったことも記しておきたい。

千葉真一、空手映画で世界へ 

カンフー・ブームで日本でも空手映画が盛んに作られた。ブームの中で、何人かの空手スターが誕生する。しかし一躍浮上したのは東映の千葉真一であった。自分で企画した空手映画がヒットし“2億円スター”となった。

そのきっかけは、1973(昭和48)年5月、夫人(女優・野際陽子)とのヨーロッパ旅行だった。

「どこへいっても香港製の空手映画ばかりで、これがまた凄い人気。びっくりしました。それで、帰って来てすぐに空手映画を作ろうと、企画を出したのです。」(千葉真一)

こうして作られたのが「激突!殺人拳」(監督・小沢茂弘)。ブルース・リーの「燃えよドラゴン」に少し遅れること2ヶ月、1974(昭和49)年2月2日に封切られる。これが、封切り段階の配給収入で2億円以上を稼いだ。

東映で2億円クラスを稼げるのは、当時では鶴田浩二、高倉健、菅原文太、梶芽衣子の4人くらいのもので、続く5指に入ったわけだ。驚くのはその2ヶ月後の4月27日、素早く「殺人拳2」(監督・小沢茂弘)を公開した。東映は期を見る事に長けていた。

「けんか空手・極真拳」の画像
けんか空手・極真拳(昭和50年)

その後、千葉真一主演の空手映画が続々と続く。「直撃!地獄拳」、「逆襲!殺人拳」、「直撃地獄拳・大逆転」、「少林寺拳法」、「けんか空手・極真拳」、「激突!合気道」、「けんか空手・極真無頼拳」、「子連れ殺人拳」、「激殺!邪道拳」、「空手バカ一代」など。

もともと千葉真一は日本体育大学で器械体操をやっていて、オリンピックを目指していたスポーツマン。それが学生アルバイトで腰を痛め、涙を呑んで大学を中退し、東映へ入社する。

その後、東映の若手スターとして数々の作品に主演。1968(昭和43)年から始まったテレビ番組「キーハンター」(TBS)では爆発的な人気になり、俳優部門のブロマイド売り上げが4年連続ナンバーワンの人気俳優になった。

空手映画との出会いでもあった

千葉は、東映に入る前から極真空手・大山道場の門下生で既に初段の腕前で、そうした時の空手映画との出会いでもあった。極真空手とは大山倍達が興した、実戦空手で寸止めが無いので、通称ケンカ空手とも言われる。

千葉は1977(昭和52)年に極真空手の日本代表として、ハワイで元・アメリカ東海岸空手チャンピオンのグレック・カーマンと対戦しKO勝ちを収めている。この時は「空手バカ一代」(監督・山口和彦)の公開前で、良い宣伝になった。1984(昭和59)年1月、昇段審査をうけて4段に昇格した。空手の4段は柔道の5段〜6段に匹敵する。

大好評のヤクザ映画「仁義なき戦い」シリーズも完結編を迎え、そろそろヤクザ映画も下火になっていた東映にとって「激突!殺人拳」は久々のヒットだった。アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、カナダの映画会社が買い付けに来た。

同年11月12日、アメリカ中南部の都市一八館で上映し、3週間でベスト5に躍り出て千葉の代表作となった。この時、配給会社が千葉真一を「サニー・チバ」と主演者名を替えた。アメリカで権威ある総合情報誌「バラエティ」でもこの出来事を取り上げた。

「空手=サニー・チバ」

同紙が初めて日本映画を掲載し話題になった。外国人の映画評は、「ブルース・リーの舞踊劇的なカンフーと違い、ワザと力も、より本物に近く、迫力がある」だった。

続けて製作した3作目、1974(昭和49)年8月10日公開の「直撃!地獄拳」(監督・石井輝男)は、高倉健主演の「三代目襲名」(監督・小沢茂弘)との併映で、配収4億1,700万円を上げ、その年の配収記録ベスト5に入り、アメリカではビデオが10万本以上売れた。

当時の欧米では空手とカンフーを区別することが無く「カンフー=ブルース・リー」というイメージも千葉主演の格闘映画以降は「空手=サニー・チバ」と言うのが欧米では一般的認識となった」(アメリカ・バラエティ誌)。

この強い千葉真一。1990(平成2)年2月5日、自身が監督した「リメインズ・美しき勇者たち」(松竹配給)のキャンペーンで福岡へ行った。筆者も宣伝担当していた。その夜、仕事も終わり、3人でクラブで飲んでいると、後から来たヤクザに絡まれた。

4〜5人が執拗に絡んで来る

「おい!千葉こっちにきい〜や。今日、寄せ場(刑務所)から出てきたばかりや。お祝いをしてるんや」と言う。兄貴の言葉で4〜5人が執拗に絡んで来る。ヤクザに応じない千葉がされる。

一触即発が有るかなと心配していた筆者に、千葉が耳元で福岡の知人に電話してくれという。筆者も知っている人なので、急遽、知人に来てもらい、事は収まった。緊迫する場で、知人が到着するまでの時間がやけに長く感じた。

知人もその筋の人である。「あの組の者は危ないのでホテルまでご一緒します」と、ボディーガード2人がホテルまで送ってくれた。

彼のこの事件の対応は、怒ることなく冷静で、態度は毅然としていた。俳優はいろいろあるんだと話していた。でも5人は倒せる?とバカな事を聞くと、いけるかなと笑っていた。映画「直撃!地獄拳」のように成らなくて良かった一幕である。

Filed Under: 昭和(後期) Tagged With: 千葉真一, 山田洋次, 東映, 渥美清, 石井輝男

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著者紹介(西川昭幸)

アバター1941年北海道生まれ。東洋大学社会学部卒。
映画会社勤務などを経て現在、公益社団法人理事。
<主な著作>
「北の映画物語」(北海タイムス社)、
「美空ひばり公式完全データブック 永久保存版」(角川書店)、
「活字の映画館 明治・大正・昭和編」(ダーツ出版)、
「日本映画100年史」(ごま書房新社)、
「美空ひばり最後の真実」(さくら舎)、
「昭和の映画ベスト10、男優・女優・作品」(ごま書房新社)

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