
1951(昭和25)年〜1955(昭和29)年
洋画にワイド画面の到来
1953(昭和28)年頃、本家アメリカ・ハリウッドでは、興行の不振に悩んでいた。原因は、日本より一足早くやって来た“テレビ旋風”のあおりである。
苦境からの脱出として、ハリウッドが打ち出した新機軸は、シネマスコープと70㎜映画であった。この新方式は、あくまでもテレビに対抗するために、開発されたものだった。
その第1作は、20世紀フォックスが450万ドルをかけて製作した「聖衣」。スクリーンサイズは、縦が従来と同じ7m30だが、横は20mと3倍ものワイドスクリーンになっていた。むろん、スピーカーシステムも大幅にバージョンアップしている。この一作、確かに客足を呼んだが、また先細りする。

北海道で洋画劇場を各地に造ったのは須貝興行だった。洋画をやるようになったのは、1951(昭和26)年のセントラル解体後から。しかし、当時は何といっても松竹座が洋画封切りの本命だった。いいシャシンは、殆ど松竹座に掛かっていたが、1953(昭和28)年、縁があって札幌劇場で“風と共に去りぬ”を上映する。
13年掛かっての上映だった
この「風と共に去りぬ」は、1939(昭和14)年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、主演女優賞を取り世界的に大ヒットを飛ばしていた大作で、日本は完成後、13年掛かっての上映だった。これが当たった。
そのころ札幌の入場料が普通で180円位、この作品、1階と2階で料金を分け、1階・300円、2階・400円とかなり高い料金の興行だった。当時洋画は1週間契約だったが、“風と共に去りぬ”は3週間契約に。これがさらに2週延ばして5週間やった。
この時、料金はかつてない高額だったが、同時に本道初の“入れ替え制”もやっている。それでもお客が来た。最初の3週間は毎回100%の満員で空前絶後の大ヒットを記録した。
この翌年から、いよいよワイドスクリーンが登場する。メトロ映画の「円卓の騎士」がそれ。ビスタビジョンというネーミングだった。その後、1957(昭和32)年にユナイトの“八十日間世界一周”と続き、ワイドスクリーン化は、益々加速する。

活況の映画界、文豪・巨匠が勢揃い
終戦から8年。映画も活況を呈して来た。1953(昭和28)年は小説家の作品が多く、名作や意欲作が製作された年でもある。公開順に拾ってみよう。
1月=沖縄戦で犠牲になった、特志看護婦を描いた「ひめゆりの塔」(監督・今井正)。川端康成が昭和26年芸術院賞を受賞した「千羽鶴」(監督・吉村公三郎)。
2月=毎日新聞で連載していた人気小説、獅子文六原作の「やっさもっさ」(監督・渋谷実)。
3月=椎名麟三原作「無邪気な人々」を脚色した、ベルリン映画祭入賞作品の「煙突の見える場所」(監督・五所平之助)。戦国時代、戦乱と欲望に翻弄される人々を描いた、上田秋成原作の「雨月物語」(監督・溝口健二)。
4月=川端康成が“近代日本の最高の小説であることは疑いない”と賞賛した、徳田秋声原作の「縮図」(監督・新藤兼人)。皮膚を白くしたい一心で、タワシで血の出るまで肌をこする黒人の女の子を描いた「混血児」(監督・関川秀雄)。
6月=日本で初めて戦艦大和を題材にした「戦艦大和」(監督・阿部豊)。苦労しながら育てた2人の息子に叛かれて自殺する母を描いた「日本の悲劇」(監督・木下恵介)。
8月=主役の若尾文子より、助演の進藤英太郎、浪花千栄子の演技が光る、川口松太郎原作の「祇園囃子」(監督・溝口健二)。兄妹の複雑な愛情を描いた、室生犀星の「あにいもうと」(監督・成瀬巳喜男)。
9月=小林多喜二の原作を、俳優・山村聰が脚本を書き、初監督をした「蟹工船」(監督・山村聰)。高峰秀子が好演した、森鴎外の「雁」(監督・豊田四郎)。堀田善衛の芥川賞作品「広場の孤独」(監督・佐分利信)。菊田一夫原作、NHK連続ラジオドラマの映画化「君の名は」(監督・大庭秀雄)。
10月に入り作品もバラエテイーに富む。原爆症の悲惨さを描いた「ひろしま」(監督・関川秀雄)、幕末の大老・井伊直弼の波瀾の生涯を描いた、船橋聖一原作の「花の生涯」(監督・大曽根辰夫)。滝沢修と劇団民芸俳優が総出演した、島崎藤村原作の「夜明け前」(監督・吉村公三郎)。勝ち目のない戦争で散った、日本連合艦隊の活躍を描く「太平洋の鷲」(監督・本多猪四郎)。菊池寛の戯曲を映画化した「地獄門」(監督・衣笠貞之助)。
11月=年老いた両親とその家族を通して、家族の絆、老いと死を描いた「東京物語」(監督・小津安二郎)、東映第一回総天然色で横光利一原作の「日輪」(監督・渡辺邦男)、キ・ド・モーパッサン原作「女の一生」(監督・新藤兼人)。文学座、新世紀映画社が製作した、樋口一葉原作の「にごりえ」(監督・今井正)。
12月=軍隊の陰湿な虐めと不条理を描いた、野間宏原作の「真空地帯」(監督・山本薩夫)。作品は正に、多士済済、百花繚乱の如くである。

