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日本映画100年史

本【日本映画100年史】をリアルタイムで加筆していく、ライブブックブログ!

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日本映画界にレッドパージの嵐が吹き荒れる

2019.09.05 by 西川昭幸

1951(昭和25)年〜1955(昭和29)年

「前進座」翫右衛門騒動起きる 

レッドパージの嵐が吹き荒れる中、前進座第2班による北海道巡回公演が、1952(昭和27)年5月末から始まる。その時、レッドパージ、赤狩りの対象として指名手配中の、同班責任者、中村翫右衛門をめぐって、再び警察がドタバタ劇を展開した。

北海道公演の、鼻ズラをひっぱたいてやろうと、警察では5月30日に、同班責任者の中村翫右衛門に逮捕状を出した。むろん。前進座がこれをすんなり受けるはずもなく、目クジラを立てる警察を尻目に、予定通り巡回公演を始めた。

「前進座の地方公演」の画像
前進座の地方公演(昭和27年)

警察にしても、黙ってそのまま手をこまねいている訳にはいかず、まず赤平署が口火を切った。赤平公演で、すったもんだの挙句、こじつけで“公共物侵入容疑”で翫右衛門を指名手配とした。これが、札幌公演の直前だった。

令状の執行を猶予

日共党員やシンパばかりではなく、事のいきさつを知ったヤジウマまでが入り乱れて、札幌公演会場の市民会館をぐるりと取り囲んでしまった。そのため開演の直前になって警察は日共党員、北大学生、シンパ労働者とのトラブルをおそれ、令状の執行を猶予し、任意出頭を命ずるという、迂回策を取った。

さて公演中は、なかなかその姿を見せなかった翫右衛門が、第2幕に入ってから、“俊寛”の舞台姿で突然観衆の中から登場。やんやの、喝釆を浴びた。市警はすっかりコケにされてしまった。

当日になっても翫右衛門は出頭しなかった。逆に市民が逮捕状の撤回を叫ぶデモ隊を組織して、札幌中央署に押しかける始末。

民衆の支持が厚かった

この後も前進座は道内公演を続け、そのつどデモ隊と警官隊の小競り合いが続くが、当の翫右衛門は、札幌公演の直後、中国に脱出して行った。

また前年、1951(昭和26)年夏に封切られた「どっこい生きている」(監督・今井正)は、前進座と新星映画社が製作費を一般から募って作った作品で、裏街に生きる労務者親子の生活を描いて評判を呼んだ。このころの「前進座」と日共は、民衆の支持が厚かった。

この年、札幌では、札幌駅地下ニュース劇場(テアトル・ポー)の建設が進められていた。

「火災が起きた場合、大事になる恐れがある」として、消防庁から横やりが入り、正式認可の出ないまま、札幌鉄道管理局は、ごり押しをして完成させる。

それも当初の予定通り、1952(昭和27)年10月15日の鉄道記念日に、ニュースと短編映画を上映する劇場としてオープンした。今は無くなっているが、地方客が汽車の時間待ちなどで、多く利用した名物劇場だった。

輸入解除で洋画ラッシュ 

1952(昭和27)年度の、外国映画の趨勢を見てみよう。

外国映画の輸入を1国1社としたGHQの政策のもと、アメリカ映画はセントラル映画社、イギリス映画は英国映画社、フランス映画はフランス映画輸出組合、イタリア映画はイタリ・フイルム社など、許可を受けた1社だけが輸入を請け負ってきた。

「禁じられた遊び」の画像
禁じられた遊び(昭和28年)

この制度が廃止され、外国映画の輸入統制権限が日本政府に移譲されたのは、1951(昭和26)年5月1日。劇場を所有する松竹、東宝、日活の国内3社は、早速アメリカ・メジャー映画各社と配給契約交渉を開始する。

1952(昭和27)年度の正月興行からメジャー各社の話題作が新しい配給系列のもとで上映された。この年一番の話題作は、完成後13年目にして初公開された「風と共に去りぬ」だった。

一方、ジョン・ウェイン主演「リオ・グランデの砦」やゲーリー・クーパー主演「遠い太鼓」など、西部劇が多くの観客を集めた。アメリカ映画は、輸入本数でも圧倒的に多く、娯楽映画の王座は既に揺るぎないものとなっていた。

光り輝いている名画ばかり

しかし、ヨーロッパ映画の進出も著しく、ことに東和が輸入配給する映画は、質的にも、非常に優れた作品が多かった。また、1952(昭和27)年以降に輸入された映画にも、テーマ音楽の優れた作品が多く、特に「禁じられた遊び」(監督・ルネ・クレマン)は人々の心を捕えた。

そうした作品は、イギリス、フランス映画に多く、ほんの数年間という、限られた時期に封切られた作品群は、映画史の中でも、ひときわ燦然と、光り輝いている名画ばかりである。

「ジープの四人」は、戦後初めて輸入されたスイス映画。「天井桟敷の人々」は、巨匠マルセル・カルネが、3年余りかけて完成した3時間の長編。「巴里の空の下・セーヌは流れる」は、パリ二千年を記念してつくられた映画。監督はジュリアン・ディヴィヴィエ。

「殺人狂時代」は、解説するまでもなく、チャップリンの代表作の1つ。「第三の男」は、キャロル・リードの代表作。テーマ曲を効果的に使ったのが特徴で、演奏は、ウィーンに古くから伝わる弦楽器ツィター1本だけである。

そして、ラストの長い長いワンカットシーンが、強烈で印象に残る名シーンだった。「陽のあたる場所」「真昼の決闘」「誰が為に鐘は鳴る」「肉体の悪魔」「セールスマンの死」と名画は続く…。しかし配給収入の市場規模は邦画がまだ65%を抑えていた。

Filed Under: 昭和(中期) Tagged With: キャロル・リード, ジュリアン・ディヴィヴィエ, ルネ・クレマン, 中村翫右衛門, 今井正, 前進座

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著者紹介(西川昭幸)

1941年北海道生まれ。東洋大学社会学部卒。
映画会社勤務などを経て現在、公益社団法人理事。
<主な著作>
「北の映画物語」(北海タイムス社)、
「美空ひばり公式完全データブック 永久保存版」(角川書店)、
「活字の映画館 明治・大正・昭和編」(ダーツ出版)、
「日本映画100年史」(ごま書房新社)、
「美空ひばり最後の真実」(さくら舎)、
「昭和の映画ベスト10、男優・女優・作品」(ごま書房新社)

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