1966(昭和41)年〜1988(昭和63)年

激動の昭和を描いた傑作「戦争と人間」
この年、「戦争と人間」完結編(監督・山本薩夫)が、興収ベストテン5位に入る健闘をみせた。五味川純平原作の映画化である。
映画は「第一部・運命の序曲」(1970(昭和45)年8月14日興開)、「第二部・愛と悲しみの山河」(1971(昭和46)年6月12日公開)、「第三部・完結編」(1973(昭和48)年8月11日公開)の3部作からなり、9時間23分の大作である。
物語は張作霖爆破事件の1926(昭和3)年から、ノモンハン事件の1939(昭和14)年迄を、財閥・伍代家の人間模様を絡ませて、激動の時代を描いた。

興収ベストテン1位に輝いたが
製作期間6年。第1部の製作費だけでも3億5千万円も掛かり、経営難の日活を直撃した。日活がロマンポルノを製作する1年前である。しかし、作品は当たり、1970(昭和45)年の興収ベストテン1位に輝いた。
翌年公開の第2部も興収ベストテン4位に入り、3部作すべてはベストテンに入る大ヒットだった。しかし、会社の経営難から第4部が製作出来ず、途中の第3部を完結編とした。完結編の完成時には、にっかつ・ロマンポルノを撮って2年目に入っていた。
この作品、日活製作最後の作品となった。作品評価も高く、第1部では第44回キネマ旬報ベストテン・2位。毎日映画コンクール監督賞。美術賞、録音賞。第24回日本映画技術賞。第2部では第24回キネマ旬報ベスト・テン4位。第25回日本映画技術賞など、多くの映画賞に輝いた。

斜陽の映画界、息吹き返す
1973(昭和48)年の正月興行は、道内どこの映画館も客が入った。「映画が復活した!」「今度こそ本物のブーム到来だ」などと館主たちは、喜んだ。無理もなかった。前年の正月興行が、まったく振るわなかった。
それに比べて、客の入りが、今年は2倍以上、映画館の前に長蛇の列ができるという、ここ数年見られなかった景気の良い現象まで起こっていた。
この突然ともいえる映画ブームは、前年の正月興行の失敗に、映画会社が気を引き締め、製作と宣伝に大きく力を入れたところに要因があった。しかし、そればかりではなかった。異常気象、大災害への予感など、社会不安が絡んでいたといえる。
社会不安が人々の足を映画館に運んだ
さらには、トイレットペーパーの買い占め騒動まで引き起こしたオイルショックで、マイカーでの遠出などが減り、その分、手軽な映画へと、足を向けさせる結果となった。社会不安が人々の足を映画館に運んだといえよう。もともと不況に強いといわれる映画である。
その本領を発揮したのか。1973(昭和48)年の興収ベストテンは、①日本沈没(東宝)、②人間革命(東宝)、③ゴルゴ13(東映)、④山口組三代目(東映)、⑤戦争と人間・完結編(日活)、⑥グアム島珍道中(東宝)、⑦仁義なき戦い(東映)、⑧仁義なき戦い・代理戦争(東映)、⑨仁義なき戦い・広島死闘編(東映)、⑩忍ぶ糸(東宝)だった。仁義なき戦いが、年間で3本も入っている。
東宝の「日本沈没」が話題を呼んだ
この年の正月興行が映画ブームの復活だとさえいわれたのは、小・中学生を含めて客層の幅が広がったこと。もう1つは、邦画・洋画ともに良い作品があったことである。
その邦画だが、昨年末から正月にかけて東宝の「日本沈没」が話題を呼んだ。ドアを開けたら人の背中だらけで、スクリーンがまったく見えなかった、といわれるほど客が入った。入れ替えを待つ客が、ロビーで行列をつくっていた。
「日本沈没」は、「グアム島珍道中」(監督・岩内克己)との併映2本立てで、最終配収は19億5,816万円。むろん、この年の邦画のトップを走る成績だった。
併せて東宝の「人間革命」や東映の「仁義なき戦い」が人気で、日活は最後のあえぎとも言える「戦争と人間・完結編」が高稼働した。
「日本沈没」社会に警鐘を鳴らす 193(昭和48)年は、ヤクザ映画の暴風が吹き荒れていた時代で、洋画ではブルース・リーが大ブームを巻き起こしていた。そうしたときに「日本沈没」が現れた。

作品は、日本推理作家協会賞を受賞した小松左京の「日本沈没」の映画化。「日本沈没」は1973(昭和48)年、光文社から出版された長編SF小説で、385万部の超ベストセラーだった。
「日本列島が地殻の変動で海底に沈む」このフレーズは、石油ショックで騒然となり高度経済成長の階段を駆け上がってきた人々の不安心理と呼応し、日本中をブームに巻き込んだ。
物語は「日本人が国を失い放浪の民族になったらどうなるのか」がテーマである。日本列島沈没はあくまでも舞台設定で、地球物理への関心はその後から湧いたものだと言う。この作品は地震、噴火などの研究の裾野を広げさせ、社会的にもシヨックを与えた。忘れていた地震大国への警鐘作品でもあった。
映画は監督・森谷司郎、特撮監督・中野昭慶、脚本・橋本忍。当時、日本映画史上最高の5億円をかけて映画化されたが、そのうち半分は、大噴火、大地震、大津波といった特撮シーンに投入された。
配役は、主人公の深海潜水艇操縦士(小野寺俊夫)に藤岡弘、名家の令嬢(阿部玲子)にいしだあゆみ、沈没を予見した科学者(田所博士)に小林桂樹、政界の黒幕(渡老人)に島田正吾。
公開当時は、東京のビル群を直下型地震が襲う場面など、「こんな落ち方、本当にするのか」と疑問視された。スタッフは撮影前の、2ケ月余り地震物理学が専門の竹内均東大名誉教授のもとで、耐震工学、海洋学、火山学を学び、1ヶ月ががりで1千万円をかけて特殊セットを作って撮影した。
科学に裏付けられたセット作りは困難を極めた。だが、約20年後、このシーンの信憑性が証明される。ロサンゼルス地震で同様の光景が現実となったのだ。「映画とそっくりでしたね」、自然の猛威を目のあたりにした人々が驚嘆した。
1973(昭和48)年12月29日に公開され、880万人の観客を動員し、配収19億5816万円を挙げた。東宝はこの後「ノストラダムスの大予言」「東京湾炎上」とパニック映画をだす。この両作品もそれなりの成績を上げた。東日本大震災、東海沖大地震などが問題になっている最近、今見ても色あせない作品である。

