
1951(昭和25)年〜1955(昭和29)年
「白痴」ロケで原節子ご難
松竹映画の「白痴」は、雪の札幌を舞台に人間社会の醜い姿を赤裸々に描いたもので、ドストエフスキーの原作を黒澤明が監督した作品。
物語は、戦犯で処刑寸前に救われたショックから、白痴と呼ばれるようになった男(森雅之)をめぐる、男女の愛憎劇。原節子が「かこわれ者」でありながら気品のある女を演じ、特に黒マント姿が印象的で話題になった。
激怒した黒澤監督
この作品、舞台をロシアから北海道へ移して映画化した野心作。当初4時間25分の長さで前後編に分けて上映されることになっていたが、試写を見た松竹首脳陣が難色を示し、大幅にカットされることに。
それに激怒した黒澤が“切りたければフィルムを縦に切れ!”と怒鳴ったという逸話が残されている。結局2通りのバージョンが作られ、長尺版の3時間30分ものは、東京・東劇で3日間だけ上映された。
俳優は、前年北海道ロケに来たばかりの、若々しい三船敏郎、札幌生まれで人気絶頂の森雅之、加えて女優は「ジャコ万と鉄」の撮影以来、今度で来道2度目の20歳になったばかりの久我美子、それに人気絶頂の原節子。

出迎えたファンの歓迎が凄かった
ロケ班の第1陣が札幌入りしたのは、1951(昭和26)年2月16日である。出迎えたファンの歓迎が凄かった。札幌駅前に数百人のファンが殺到し、警官が10数人も出て整理に当たったほど。

第1陣の原節子、東山千栄子らの一行7人が来たのは、2日遅れの18日だった。この日のファンの歓迎ぶりは、第1陣の時より凄かった。駅を取り囲んでいた数100人のファンは、汽車が入ったとみるやホームに殺到したのである。原節子は、雪のホームでとりすがるファンにもみくちゃにされ、揚げ句に、すってんころりんと転ばされてしまった。
ほうほうの体で改札を通ったが、今度は外で待ちかまえていたファンの一隊が襲いかかった。制止に当たった警官も、駅員さんも突き飛ばされ、窓ガラスを壊すやら、大声を出すやらで、一行は30分間も駅長室にカン詰にされてしまった。仕方なく裏口から脱出、線路づたいにようやく宿舎に入る始末。
道の真ん中でサイン攻めに
しかし、これで一件ケリがついた訳ではなかった。そうと気づいたファンが、今度は宿舎に押しかけ、雪を投げたり、玄関を叩くやらの大騒ぎ。「ああ、ゆっくり眠りたい」と原節子がつぶやいたとか。もう1つのおまけは、ロケも大詰めに近づいた3月のこと。
残すは、1カットだけとなった雪待ちのある日、原節子は大きなマスクを掛けたお忍び姿で街へ。ところがたちまちファンに発見され、道の真ん中でサイン攻めに会ってしまう。
ほうほうの体で宿にたどり着いた原節子、ついに「人に見られるのがいや!」と言って部屋に閉じこもってしまった。何とも笑えない、大変な札幌ロケだった。
撮影場所は、真冬の2月から約2週間、札幌市内を中心に撮影された。札幌駅前、大通り、中島公園、北海道大学構内、月寒など。冬の札幌が効果的に描かれ、札幌の街・雪・氷など美しく撮ったカメラワークが絶賛された。札幌市の良き時代を記録した、貴重な作品ともいえる。筆者はDVDでしか見ていないので、大画面で見たい作品の1つだ。
