
1966(昭和41)年〜1988(昭和63)年
寅さんふら〜り現われる
1969(昭和44)年8月27日、「男はつらいよ」が公開された。日本映画にはシリーズ物が多いが、戦後、特に1960年代は花ざかりであった。

この時代、数々のシリーズ物が誕生したが、長寿シリーズ物としては「男はつらいよ」が最長である。では、なぜ“寅さんシリーズ”だけが残ったのか。
それは、他のシリーズ物が“柳の下の2匹目のドジョウを狙う”ことに、ほとんど終始したのに対し、寅さんシリーズは手抜きをしないで、1作1作をその時代、時代に合わせた脚本と演出が研ぎ澄まされていた。
ふらりと旅から舞い戻って来たフーテンの寅さんが、一騒動を起こしては、またぞろ旅に出て行くという、毎度おなじみのパターンになってしまっているのだが…。
シリーズ物でこれだけ稼げるのは大変なことで。逆にいえば、延々と続くシリーズ物でも丁寧につくると、毎回それくらいの配収を上げられるという証明のようなもの。

寅さん頼みが松竹の衰退を招いた
しかし、毎年、お正月とお盆のかけ入れ時に、定番物が上映される中、このヒット作に頼りきり、他の企画が育たなくなった障害を、松竹幹部は認識していたのだろうか。寅さん頼みが松竹の衰退を招いた一因であると考えるのは筆者だけだろうか。
さて、このスーパーシリーズの起源は、実はテレビだった。1968(昭和43)年にフジテレビが、連続ドラマ「男はつらいよ」を放送したのがそもそも。脚本 山田洋次、寅さんに渥美清、さくらに長山藍子で26回物だった。
この連ドラ、茶の間にはけっこう浸透していた。最終回で寅さんがハブに噛まれて死ぬやいなや、「あんな終わり方はひどい」「よくも寅を殺したな」と抗議の電話が鳴りっぱなし。
スクリーンの中で寅を生き返らせよう
山田監督はこの作品には愛着も有り、それほど視聴者に愛されていたのならスクリーンの中で寅を生き返らせよう。それが役目だと考え、松竹に映画化を進言する。しかし、上層部は「テレビでやった物を、また映画でやって客が来るのか」と冷たい反応だった。
監督は「大勢の視聴者があれほど寅さんの死を悔やんでくれたのだからきっと見に来てくれる」と譲らず、最後は社長の城戸四郎に直訴。「それほど山田君がやりたいと言うなら、やってみようじゃないか」の一言で映画化が決まった。
26年間に全48作が公開
さくら役が倍賞千恵子に代わり映画化された。1969(昭和44)年から1995(平成7)年の26年間に全48作が公開された。山田洋次が全48作の原作・脚本を担当。第3作、第4作を除く46作を自ら監督した。第5作で完結させる予定であったが、あまりのヒットで続編製作が決定した。
内容はフーテンの寅こと車寅次郎(渥美清)は、父親が芸者との間に作った子供。実母の出奔後、父親の元に引き取られる。しかし、16歳の時に父親と大喧嘩して家を飛び出したという設定。
それ以降、テキヤ家業で全国を渡り歩く渡世人となる。家出から20年後の36歳で突然、異母妹さくら(倍賞千恵子)と、叔父夫婦(下條正巳・三崎千恵子)が住む葛飾柴又の団子屋に戻って来るところから始まる。
シリーズのパターンは寅次郎が旅先や柴又で出会うマドンナに惚れてしまい、マドンナも寅次郎に対して好意を抱くが、それは多くの場合、恋愛感情ではなく、最後にはマドンナの恋人が現れて、寅次郎は振られてしまう。
そして落ち込んだ寅次郎は書き入れ時である正月、もしくはお盆に再びテキヤ家業の旅に出て行くという物語で一貫している。
回を重ねる度に客を増やしていた
確かにこの作品、最初の3作位迄は、あまり騒がれなかった。何となく寅さんが、ふら〜りと現れた感じだった。しかし、1970(昭和45)年公開の第四作「新・男はつらいよ」(監督・小林俊一)くらいから、業界が注目しだした。
筆者が1969(昭和44)年9月1日、札幌転勤になった。そこには札幌の各劇場の入場者、興収などが翌日に分かる「札幌封切日計表」が有り、その日報でも「男はつらいよ」は、回を重ねる度に客を増やしていた。
松竹遊楽館の支配人は「松竹も鉱脈を掘り当てた」と喜んでいたが、「これはチョットするとやばいよ」「東映の対抗馬が出て来た」と東映営業部が話していた。この時、「網走番外地」や「昭和残侠伝」などが当たっていた東映に取っては、ライバル作品の登場である。
東映調ヤクザ映画の対局にある
しかし筆者は「男はつらいよ」は、松竹のホームドラマの延長線上の作品で、東映の任侠・ヤクザ映画とは根本的に違うと判断していたし、山田洋次監督が東映調ヤクザ映画の対局にあることも理解していた。
その翌年、1971(昭和46)年12月29日公開の「男はつらいよ 寅次郎恋歌」(マドンナ・池内淳子)がついに、観客動員ベストワンに躍り出る。以後毎年、ベストテン入りが続き、不動の大ヒットシリーズとなった。
しかし、このヒットシリーズも渥美清の死により、48作目の「男はつらいよ 寅次郎紅の花」(マドンナ・浅丘ルリ子)を持って幕を閉じた。男はつらいよ作品は北海道ロケが九作もあって道産子にも馴染みが深いシリーズでもある。
