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日本映画100年史

本【日本映画100年史】をリアルタイムで加筆していく、ライブブックブログ!

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活動写真のスーパースター

2019.05.30 by 西川昭幸

1912(大正元)年〜1925(大正14)年

松之助ファンは子供たち

「目玉の松ちゃん」こと、尾上松之助は、した日本最初の大スターである。松ちゃんの活動写真スタイルは、舞台の模写に近い旧劇(時代劇)や新派劇のたぐいだった。ハリボテの大ガマなどが、平気で登場した。

このため活動写真にうるさい知識人は、洋画と比較し愚劣・低俗扱いしたが、子供たちには人気があったので、「袖で鼻汁を拭く人が見る活動写真」等と悪口をいわれた。

「自来也」大正14年日活
「自来也」大正14年日活

札幌での、松之助の活動写真は神田館でよく上映していた。やはりお客の中心は子供たちだった。大正のころ、松之助ファンの子供たちの間で、妙なうわさがささやかれていた。「目玉の松ちゃんのギョロ目は義眼だ」というものだ。「チャンバラの撮影中に刀が目に刺さって失明、義眼になった」というもの。

この噂が、まことしやかに「袖で鼻汁を拭く人たち」の間に広がっていた。1924(大正13)年8月、そのご当人が北海道興行にやって来て、目玉の松ちゃんの目は義眼でなく本物であることが、札幌の子供たちにもようやく分かった。

ドサ回りの役者だった松之助が、映画スターになり、「目玉の松ちゃん」と呼ばれるようになるのは、実は活動写真に出演して、直ぐの頃からである。第1回の主演作品は、1909(明治42)年10月に撮影した「碁盤忠信源氏礎」。

「よう目玉!」「目玉の松ちゃん!」

そして、3作目の「石山軍記」では、楠八郎にふんし、敵軍の乱れを大きな目玉でハッタとにらむ。この活動写真を見た観客は「よう目玉!」「目玉の松ちゃん!」と掛け声をかけた。これが「目玉の松ちゃん」の始まりであった。

その後、松之助の活動写真は、立川文庫をネタにした忍術物が主流となり、トリック撮影が盛んになる。おかげで、巻物をくわえて九字をきれば、自分の姿がドロンと消えると信じ込んだ子供が線路上で試し、汽車に跳ねられて大怪我をするという、おまけの事件もあった。

松之助の活動写真はテンポがゆっくりしたものだった。役者であった松之助は、舞台そのままに演じたからである。松之助にとって、活動写真も舞台もそれほど違いはなかったようだ。

ただ、活動写真の撮影は昼の仕事、舞台は夜の仕事と分けただけであった。だからこそ、15年という歳月の中で、1千本というおそるべき数の活動写真に出演出来た。

目玉の松ちゃん・大スターの条件

松之助のチャンバラ物は、時代劇ではなく旧劇と呼ばれた。旧劇とは、主人公はいつも背筋を伸ばし、どんなにチャンバラでも着物は肌蹴ず、髪も乱れず、平静な顔をして型にはまった演技をしているというもの。いわゆる舞台なのである。

一方、時代劇の方は、そのチャンバラは激しく、切るか、切られるかの切迫感があり、乱闘が重なると前ははだけ、ザンバラ髪となり、美男スターがすさまじい形相となった。こちらは、要するにリアルなのである。

尾上松之助は、人気下降気味の時でも、最後まで旧劇のスタイルで活動写真を撮り続けた。松之助は決して二枚目役者ではなく、名優でもなかったが、身のこなしが軽く、小柄で、顔の大きかったことが、活動写真スターになれた原因だった。

当時のカメラは非常に重い。そのため撮影は、カメラを固定して行なった。まず舞台のイメージでアングルを決め、その中で役者が演技をする。こうした撮影方法だと、大柄の役者ではアングルからはみ出てしまう。

小柄で軽快、そして、“顔が大きい”方が見栄えがした。松之助のライバルだった、天活の沢村四郎五郎もまた同じような体型で、その大きな顔のことを「馬が提灯をくわえた」といわれたほど。

カチューシャ映画氾濫

1914(大正3)年7月、第1次世界大戦が勃発し、ヨーロッパが戦場となる。このため日本は、日英同盟の関係で8月にはドイツと国交断絶、ついで10月に日本は青島攻撃に参戦する。

「カチューシャ」大正3年日活
「カチューシャ」大正3年日活

この年、松井須磨子と島村抱月の芸術座が北海道にやって来て、当時大ヒットしていたカチューシャ劇をやった。一方、映画界の方でも演劇に負けじと、カチューシャものをつくった。日活では立花貞二郎を、天活では木下吉之助をそれぞれ女形にして、活動写真を作った。

このカチューシャ映画、日活は神田館にかかり、天活が遊楽館にかかった。この時、九島勝太郎は、仲間と一緒に舞台に出て「カチューシャかわいや別れのつらさ……」と歌ってギャラを貰った。 

「なんせ、1週間びっしりの出ずっぱりでしたから、けっこうお小遣いになりました」と、その時を思い出して笑う。この年にはまた、キネトホン(発声活動写真)というものがお目見えして話題を呼んだ。これはロウ管を発声機械として小型のモーターで回転させ、さらにベルトで映写機と連結させたという苦心のシロモノ。

この手の機械は、相前後して2種類日本に入ってきている。最初はフランスのゴーモン社製のもので、札幌では神田館が特等80銭の観覧料を取って見せた。普通は、どんなに高くても20銭の時代である。

次にやって来たのがエジソンの発明になるキネトホン。こちらは日本での興行権を取るのに、20万円かかったということで話題になった。しかしいずれも、やたらと音ばかりを誇張した、ゲテモノであったようだ。もっとも成功したのは、紙を裂く音とスリッパの音だとか。しかし、こうしたまがい物は、すぐに飽きられてしまった。

Filed Under: 大正 Tagged With: 尾上松之助, 衣笠貞之助

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著者紹介(西川昭幸)

1941年北海道生まれ。東洋大学社会学部卒。
映画会社勤務などを経て現在、公益社団法人理事。
<主な著作>
「北の映画物語」(北海タイムス社)、
「美空ひばり公式完全データブック 永久保存版」(角川書店)、
「活字の映画館 明治・大正・昭和編」(ダーツ出版)、
「日本映画100年史」(ごま書房新社)、
「美空ひばり最後の真実」(さくら舎)、
「昭和の映画ベスト10、男優・女優・作品」(ごま書房新社)

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