
活動大写真は文明開化の光のように迎えられた
幕末の混乱から明治新政府が出来て30年、日本は、まだまだ安定した国体を保持していなかった。国民の規範となる大日本帝国憲法と教育勅語が発令されたのは1889(明治22)年。鎖国で世界との競争力を失っていたので、諸外国へ追いつき、追い越せとばかり急速な産業革命と社会の変革を遂行して行く。それがまた矛盾を露出し、1904(明治37)年、日露戦争へと進んでいく。
無政府主義がはびこり、政治は軍事色を強くして行く。1909(明治420)年10時月、中国ハルビン駅で元・内閣総理大臣・伊藤博文が暗殺されるなど、社会は益々混迷していた。そうした明治後年、映画の誕生があった。
外国からもたらされた動く写真は、庶民の心を捉えた。それが活動写真や活動大写真として燎原の火のように広がって行く。庶民の娯楽が歌舞伎や義太夫、講談、落語、浪曲などより無かった時代、活動大写真は文明開化の光のように迎えられた。写真が動くといって驚愕し、画面に蒸気機関車が走ると言っては、たまげた。動く写真に説明者が付き、これが活動弁士として、もてはやされて行く。 そして、ジンタ(楽隊)が街を練り歩き、活動大写真の口上が街を賑わせた。しかし、時代や活動写真、それを観る人の心はまだまだ幼かった。
活動写真時代の開幕

映画は科学者の努力によって生み出された。
科学者は人間の視覚の動きを研究した。つまり人間の眼には雨が一直線にみえ、またを早く回転すれば円弧を描いて見える。そうした物体が動くときに人間の視覚に及ぼす影響から考察したのが映画の根本原理だった。
実際に「動く画」が研究され始めたのは、1640(寛永17)年に、イタリアのアタナシウス・キルシャーが「マジア・カトプリカ」(ガラスに描いたもの)という幻燈に似た装置を考案したのが、「動く画」の最初であった。しかし、これは一人が覗き見るだけだったので、これを多くの人に見せる装置の機械研究が進められた。
1853(嘉永6)年、オーストリアのフランツ・ウハティウス男爵が、映画装置「ゾェトロープ」を発明する。これによって「動く画」は多くの人に同時に見られるようになる。
これと前後して、フランスのダゲールが写真(ガラスの乾板)を発明した。すると「動く画」の研究家は、写真を利用して、「動く写真」へと発展させる。
次いで1861(文久元)年、アメリカの技師コールマン・セラーズが動く写真の映写装置「キネマトスコープ」を発明する。これは非常に映画という観念に近いものだった。しかし、ガラス版の乾板では、それがいかに高速度に感光しても、容積の関係上、実際の運動を短期間に撮影し再現することが出来なかった。
この困難な問題を解決してくれたのは、1889(明治22)年、アメリカのジョージ・イーストマンが開発した、柔軟性ニトロ・セルロイド帯のうえに感光幕を塗布した「フィルム」だった。このフィルムの完成によって、「画が動く写真」は映画の発明上、重要な転機をもたらして行く。
活動写真と映写機の完成
活動写真と映写機の完成 アメリカが生んだ科学者トーマス・エジソンは、フィルムが発明されるや、ニューヨークに世界最初の撮影所を建設した。この撮影所は天井を抜いて天然光を入れ、太陽の位置に応じて、いずれの方向へも回転、または移動出来るように設計された。
エジソンはここで、簡単な舞踏や曲芸、馬術などを撮影すると同時に、これら被写体を再現する「キネトスコープ」を完成させる。ときに1893(明治26)年10月6月日である。この時をさして研究者は「活動写真発明の時期」と称した。
この先鞭は各国の研究者たちに刺激を与えた。しかし、エジソンの発明した「キネトスコープ」は、のぞき眼鏡式(フィルムをキネトスコープの中に入れ、ローラーで回転させてみる)で、一回に一人しか見る事が出来なかった。これが1900(明治33)年前後、アメリカ各地で“ストア・ショウ”などと呼ばれ、五セント、10セントの安価な見世物として営業された。しかし、企業的・興行的な商売として成り立つものではなかった。

これが興行として成り立つきっかけを作ったのは、エジソンが発明した5年後、1898(明治31)年、アメリカのフランシス・ジェンキンズが考案した「ファンストコープ」と呼ぶ映写機の完成からである。ジェンキンズは、知人を自宅に招き、撮影した「踊子アナベル」の画像を不完全ながらも白布に拡大映写した。それを観た一同は驚異の眼をみはった。この瞬間、映像は多くの人に見せる興行として、成立する事を確信する。この年、企業家は早くも「バイオグラフ」という映画製作会社を設立し、生産に乗り出している。
同時にこのころ、フランス、ドイツ、イギリスなども映写機を完成させ、活動写真時代の開幕を飾った。かくして、映画は企業としての第一歩を歩み始める。
これらの発明と発展は“時代の産物”といった観が深い。「20世紀の初頭における、あらゆる科学文明の所産の中で、20世紀前半は、自動車と飛行機とともに、映画が世界を支配するであろう」。との予言にたがわず、映画は急速に実用化され、トーキー化、色彩化、大型化ヘと昇華して飛躍を遂げる。
